晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る」

 プロ棋士とコンピュータ将棋ソフトの戦いである「電王戦」。すでに引退はしていたものの第1回のコンピュータとの対戦者は著者の米長邦夫・日本将棋連盟会長だった。その後の団体戦でも2-1でコンピュータ側の勝利となり、将棋ソフトがプロ棋士を負かすことはさほど驚きではなくなった。むしろ、人がソフトに挑戦するという向きが強くなったような気がしている。ちなみに「電王戦」はその二期として、叡王戦(プロ)と電王トーナメント(ソフト)の勝者同士が対決するという新たな展開に突入した。

 しかし、米長永世棋聖ボンクラーズと対戦した当時は、まだプロ棋士が「人の面子を背負っていた時期」だった。ソフトの急激な成長を十分に感じつつも、まだタイトル保持者やA級のレベルなら負けないと思えた時期だった。プロ側も今以上にコンピュータとの対戦に二の足を踏んでいたように思える。そこで、会長自らが対局し敗北する。米長元会長はこの対局の年に亡くなった。

  この本は、連盟会長であった自らを対戦相手に指名し、研究を重ね、最初に6二玉(米長氏は後手)という一手を選んだ理由と過程、試合の解説が書かれている。通底しているのは、米長氏のダンディズムか。組織の長としての資質はわからないが(自分がなったことがないので)、60代後半になって、客観的に事を見つめつつ合理的な判断をしつつも、かつ自らの美意識を発揮できるのはそうできることではないと見た。

 報道で最初の手が6二玉と知った時は、首をかしげた一人ではあったが、ソフトを入手し研究の成果であったこと、後手番になってしまったこと、序盤に(比較的)弱く筋が絞れる終盤にはとてつもなく強いコンピューターには有効な手であったと本書を読んで納得がいった。

 決戦の前、米長夫人は米長氏に向かって「あなたは勝てません」と言い放ったという。「全盛期のあなたと今のあなたには、決定的な違いがあるんです。あなたはいま、若い愛人がいないはずです。それでは勝負に勝てません」。なんとなく言いたいことはわかるが、愛人のいない人間にはコメントしようがない。本の中で、米長氏はあまりナーバスにならないようにというアドバイスだったのではと書いているが、確かにもっと心を広く持ち豪快に立ち向かえという意味合いがあったのかもしれない。