晴走雨読 横鎌日記

無理しないランニング(最近ちょっと無理している)と気ままな読書について綴ります。横浜と鎌倉が中心。映画やお出かけもあり

「遠き落日」

 福島県にとって野口英世は数少ない全国区の「偉人」だ。こちらも郡山市内の学校に通っていた。よって学校の遠足などで野口英世の猪苗代の生家などには数回足を運んだことがある。今はどうか知らないが、当時は猪苗代湖五色沼あたりを巡るのと一緒のコースだった気がする。ブログを書くに当たって記憶を確かめようとホームページを見ると、まったく記憶のないモダンな建物が出てきて驚いた。東日本大震災後に野口英世記念館はリニューアルされたらしい。

 それはさておき、福島県で学生時代を過ごしてきた人であっても、野口英世という人については、極貧―手にやけどを負うハンディキャップ―猛勉強―ロックフェラー研究所―黄熱病で死亡、といったイメージしかないだろう。正直、自分も星新一が書いた伝記ものを読むまでは、野口英世と言われて思い浮かべるのはその程度だった。星新一が書いた野口像は、とてつもない浪費家。それでイメージが崩れたかと言うと、そうではなく、妙な人間味を感じて野口英世が少し身近になった気がした。聖人君主じゃあるまいし、その程度の隙があってしかるべきだ。それよりもあの星新一が福島につながっている方が、なんかうれしい衝撃だった。

遠き落日(上) (講談社文庫)

遠き落日(上) (講談社文庫)

 

  さて渡辺淳一が書いた野口だが(集英社文庫版で読んだ)、星新一が書いた浪費家・野口が米国在住だったときだったことに対して、その奇癖や精神構造(?)を裏書きしたものになっている。星新一の時には浪費「癖」だと思っていたのが、ほとんど病気のように思えてきた。渡辺も書いているが、小さい時からあまりにお金で苦労したせいか、宵越しの金を持つことに恐怖感を持っているように見える。渡米の旅費までかつての同僚とのどんちゃん騒ぎにつぎ込むところなどは、ほとんど落語の主人公である。

 そして野口は大学を出ないで、医術開業試験で資格を得て、ペンシルベニア大学医学部の助手のポストに、そして後にはロックフェラー研究所まで押し掛けるように入り込んだ。貧富や地域の格差を超絶的な努力と一種の無神経さで切り崩していくのは痛快にさえ思えてくる。

 野口の研究には、いまとなっては懐疑的、否定的なものも少なくなく、医学的に難しいこともわからないので、研究成果はきちんと評価できないが、この太い生きざまは間違いなく、偉人と呼んでさしつかえないだろう。でも、こんな知人が近くにいたら、耐えられないだろうなあ。

 しかし、野口清作から英世に改名した理由が、坪内逍遥当世書生気質」の自堕落な登場人物・野々口精作にあるとは知らなかった。自分に似ていると思えば思うほど嫌だったのかもしれない。渡辺淳一を読んだのはたぶん初めてだが、流行作家だっただけに読ませる文章を書くと感心した。