晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「銀座ナイルレストラン物語」

 銀座の歌舞伎座近くにあるインド料理店「ナイルレストラン」。同じ並びに3階建て以上のビルがそろっている分だけ、逆に2階建ての建物が目立つ。昭和通りと晴海通りがぶつかるところにある。ずいぶんと行っていないのだが、初めて連れて行ってもらったことは覚えている。

 会社が銀座寄りに移った25年前くらいの話だ。自分で払った記憶がないので、先輩におごってもらっただろうが、この「ナイルレストラン」に連れていかれ、有無を言わさず「ムルギランチ」を食わされた。美味しかったので、文句を言うつもりはない。金も出していないし…。先輩にも最初はこれからと、初めから「ムルギランチ」を食べさせるつもりだったようである。一種の洗礼のようだった気がする。この時に「無理やり」にすすめたのが、二代目店主のG・M・ナイルだったと思う。のちにテレビを通じてみたときに「この人だ」と思った記憶がある。TV画面に映る人同様に、とてつもなく雄弁だった。当時のムルギランチは1300円だったと記憶する。払ったわけでもないが、自分で行くにはやや高いと思ったのは覚えている。この本を読んで、それは改まったけど。

銀座ナイルレストラン物語 (小学館文庫)

銀座ナイルレストラン物語 (小学館文庫)

 

 

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休憩時間を設けず昼夜営業する「ナイルレストラン」。むしろ公休日(火曜)の写真の方が珍しいのかも

 この水野仁輔「銀座ナイルレストラン物語」を近所の古本屋で購入したのは、上記のようなバックグラウンド(大げさだが)があるためだ。確かにお店に行った時に、創業者はインド独立運動にかかわった人だと聞いた。この方が、A・M・ナイルさんで、非暴力路線側のガンジーとは一線画した、武力や経済力で独立を果たそうと動く方だったらしい。ガンジーと比べれば過激派ということか。当時のインドではイギリスに留学するのが普通だったらしいが、当局に目を付けられている存在だったので、今の京都大学を選ぶことになった。初代の人脈は、新宿の「中村屋」のラス・ビハリ・ボース東京裁判で日本の無罪を主張したパール判事にも繋がる。ここらを書き込むと長くなってしまうので、この程度にしておく。初代はエスビーに在籍したこともあり、カレー粉の開発もしていた。日印友好の活動が評価され、勲三等だそうである。故人。

 さて、二代目ナイル。こちらの話がメインとなる。華僑の人や、朝鮮半島から来た人たちの成功譚でも時にお目にかかることがあるが、なんかモーレツである。昭和によく聞いた話がここでも聞かれる(実際の昭和だったが)。フロアにいる人、店のスポークスマンとの印象があったが、料理はすべてこなせるそうだ。店員はインドから連れてくる。家賃なども面倒を見る。最近はランチとディナータイムの間に休憩を入れる店が当たり前になってきているが、通し営業。実際、客が来るからなのだろう。とはいえ、1月中旬あたりからはインド人店員を帰国させ、1カ月半の長期休業をとる。なんか古いのか先んじているのかわからないが、自分のポリシー(先代の?)に沿って、ことを進める。

 この本で初めて知ったのが、二代目のナイルの警察好き。何しろ、インド料理よりも好きだとか。ただの片思いではとどまらず、警察にもシンパが多いようで、新人相手の講演を任されることもあるようだ。割と記憶に新しいがナイルレストランが火事になった時があった。火事に乗じて、土地も取得。この時に暗躍したのが、警察官だったようだ。読みながら、こんなことを書いてもいいのかなと思ってしまった。順法なのだろうけど。火事の後は、改築扱いにしたため、2階建てにとどめざるを得なかったようである。この土地取得の部分がハイライトと言っていい。

 さて、ムルギランチ。鶏もも、ターメリックライス、キャベツやジャガイモがワンプレートにのった料理。それを混ぜて食べる。というか、混ぜてくれる。今もそうだろうか。店に入るとムルギランチに誘導される。野毛の「三陽」で、「とりあえず餃子ですか」と言われるようなものである。

 今は3代目の時代に入った。ムルギランチは1500円だという(本の発行時の値か?)。25年前に1300円だったから、そんなに値上げはしていないかもしれないが、素材などを考えると決して高くないとのこと。最近は、昼の休憩時間が昔ほどゆるくないので、ナイルまで行くのは難しいが、またいつか、ムルギランチを食べてみたい。著者の水野氏は、最近も「カレーライスはどこから来たのか」という本が文庫化されていて、カレーのジャーナリストのようである。また読む機会があるかも。