晴走雨読 横鎌日記

無理しないランニング(最近ちょっと無理している)と気ままな読書について綴ります。横浜と鎌倉が中心。映画やお出かけもあり

「教養としての将棋」

 下手の横好きレベルだが、将棋とは長い付き合いだ。サッカーや野球はできなくなったが、将棋だけは続いている。スマホに入れているゲームのアプリは将棋とチェスだけ。下手は下手なりに楽しんでいるつもりだ。まあ、コンピューター相手にやたらと「待った」をかけて打ち直しているようじゃ、上手にならないわなあ。

 さて、「教養としての将棋」だが、副題に「おとなのための「盤外講座」」とある。戦法や棋力アップといったところから距離を置き、将棋周辺の話で各章を割いている。羽生善治氏と亡くなった哲学者の梅原猛氏の対談はともかくとして(個人的に羽生氏の対談ものは結構読んでいる)、将棋の歴史や、将棋の面白さを数理で示したり、将棋の駒づくりや駒の書体の話が書いてあったり、将棋の観戦記の移り変わり、将棋が「頭の良い子」を育てるのかに至るまで書かれている。もうちょっとAI系のことが書かれているかと想像したが、それはそうでもなかった。

  興味深かったのは、駒づくりの話。熊澤良尊という駒師が書いている。駒師というのは代々跡継ぎが伝授するものだったらしいが、この人は29歳の時から会社勤務と並行して駒づくりを始めたとのこと。趣味が高じていうレベルを超えていたのだろうか、53歳の時に早期退職して、駒師一本でやっていっている。彼の駒はタイトル戦などでも使われているという。この駒の話と羽生・梅原対談が、この本の多くを占めている。

 チェスはもちろん、中国や韓国の将(象?)棋と比べても、平たいのが将棋の駒の特徴。成って別の動きをすることもあるので、その形に落ち着くのはわかる。これは別の章にかいてあるのだが、将棋の起源として、インドのチャトランガが語られるが、中韓への影響はあるとして、日本の将棋はやはり「成る」のと、取った駒を使えるのが特徴だ。初めて知ったのだが、タイのマックルックには「成る」駒があるのだとか。これも見た感じは、将棋とチェスが融合したようなもので、歩にあたる駒は平べったいので「成る」のだろうが、後ろの駒はチェスのような像なので、これはひっくり返ったりはしないのだろう。もしマックルックが将棋の先祖と言えるのなら、どんなルートをたどったのだろう。興味深い。

 駒の話から脱線したが、駒師と駒づくりの話に戻ると、駒の書体も様々なものがある。(古)水無瀬(みなせ)、巻菱湖(まきのりょうこ)、錦旗、源兵衛清安が主な書体らしい。巻菱湖は「牧野涼子」と変換されてしまったが、初めて知った。駒にも、「書き駒」「彫り駒」「彫埋め駒」「盛上げ駒」などがあるという。「彫埋め駒(彫り埋め駒)」は本には説明がなかったが、いったん彫った部分にサビ漆を埋める駒のようだ。将棋となると、駒は必需品だが、この道で生きている人もいるのだなあと当たり前のことに感心させられた。

 興味深かったのは「将棋はなぜ「頭の良い子」を育てるのか」の章。確かに将棋をやる子はグレないといったことは聞いたことがある。一方、真剣師といった人もいるのだから、そうでもないのだろうとも思いつつ。この章は、安次嶺隆幸という教育を専門とする人が書いているのだが、「負けました」と認める力や「間違えることを怖れない」気持ちが育てていくのが、いわゆる頭がよくなるよりも効果的だという。確かに将棋で勝負がついて、敗者が感想戦に臨むのは、スポーツとしてとらえると異例なことのようにも思える。遅まきながら、子どもに将棋をさせたくなった(笑)。