晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

エルトン・ジョン「ホンキー・シャトー」

 映画「ロケットマン」を見た。早速、エルトン・ジョンが聞きたくなって、初期のアルバムを買った。なにしろ多作な人だ。何枚かは持っていたけど、映画で使われた曲で見ると、その3~4割くらいしか手元にない。それが多いか少ないかはわからない。で、それこそ「ロケットマン」が入っている「ホンキー・シャトー」ら数枚を買って聴いてみた。以下、映画評の要素も入ったアルバム評というか、アルバムをとっかかりとした映画評というか、自分なりのエルトン考をまとめたものである。

ホンキー・シャトー+1(紙ジャケット仕様)

ホンキー・シャトー+1(紙ジャケット仕様)

 

  どうしても映画として比較してしまうのは「ボヘミアン・ラプソディ」だ。クイーンファンの自分からみても、映画としては「ロケットマン」の勝ちと見た。しかし、出だしは上々なもの、「ボヘミアン」のようなヒットにはならないだろう。「ボヘミアン」のラスト20分が与える高揚感というのはたまらないのだが、それまでが淡々としすぎていると感じた。あのフレディの人生が妙に淡白なのだ。

 その点、エルトンの映画「ロケットマン」は彼の音楽と歌詞(これは長年の相棒、バーニー・トーピンによるものだが)とがきちんとストーリーと絡み合って、いくぶん丁寧に作られているように思う。「ボヘミアン」に関しては、ブライアン・シンガー監督が投げ出したものを、「ロケットマン」の監督でもあるデクスター・フレッチャー氏が受け継いだという妙な縁もある(「ボヘミアン」でクレジットされているのはブライアン・シンガー)。ゲイである部分、ドラッグ関係も、本人の主張が反映されているせいか、前者については社会的な認知を一層促し、後者については廃絶を目指すといった位置づけが明確だ。「ボヘミアン」はフレディが亡くなる前に公表を嫌がっていたせいか、そこは抑え気味である。

 二つの映画を見て、クイーンとエルトンの音楽性の線引きがすっきりした感がある。東郷かおる子さんがあるインタビューで、「クイーンの音楽って、リラックスしたい時に聞きたくないでしょう」と話していた。確かに、バラードもあるし、"Who Needs You"(「世界に捧ぐ」収録)のように軽い曲もあるのだが、感情を刺激させるというか、ほぼすべての曲にドラマチックな要素を挿入している。まあ、その過剰さが魅力で、日本のファンにもそこらが刺さったとも言えるのではないか。

 エルトンの場合は、映画を通して聴いてみると佳曲ぞろい。大ヒットになった「ユア・ソング」とか「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」などのほかは、刺さらない曲が多い。逆に言うと、耳に優しい曲が多い。クイーンの曲が強炭酸の飲料だとするとエルトンの曲は乳酸菌飲料という感じなのだ。

 ファッションも、フレディが自分の価値観を際立たせる衣装だったのに対して、エルトンの場合は他人になりたいという変身願望に近いような気がする。一種の自己否定である。フレディのが衣装なら、エルトンのは被り物と言ってしまった方がいい。

 さて、「ホンキー・シャトー」は5枚目のアルバム。ここから、「クロコダイル・ロック」を含む「ピアニストを撃つな!」や名盤と言われる「黄昏のレンガ路」につながっていく。やはり、映画タイトルとなった「ロケットマン」が聴きどころか。この曲はレイ・ブラッドベリの短編からヒントを得たとされ、その後、エルトンが「ロケット・レコード」というレーベルを設立させることからも、映画のタイトルになったことからも、ターニングポイント的な曲を含んだアルバムと言える。クイーンに比べれば、地味だけど、聴きどころ多し。