晴走雨読 横鎌日記

無理しないランニング(最近ちょっと無理している)と気ままな読書について綴ります。横浜と鎌倉が中心。映画やお出かけもあり

「八本脚の蝶」

 二階堂奥歯「八本脚の蝶」がとうとう文庫化された。近くの書店に平積みされていたのは、山崎ナオコーラ「かわいい夫」。なぜこんなに置かれているのか、ドラマ化でもされるのかと手に取って帯を読んだら、「八本脚の蝶」も同時に刊行されているではないか。即購入だといきり立ったが、その書店にはまだ届いておらず、帰宅時に寄った書店で購入した。

 彼女の存在を知ったのは穂村弘さんの本がきっかけ。亡くなってずいぶん経ったあとだが、その後、彼女のウェブ日記というかブログというかを読み直し(まだ公開中)、個人的には、読書傾向、美意識などから編集者として働いていた国書刊行会そのものをイメージさせる存在となった。引用や本の紹介も多いことからブックガイドにもなる。それがポプラ社で単行本となり、文庫になるならちくまか河出かと思っていたが、河出書房新社が文庫化した。でかしたぞ。

八本脚の蝶 (河出文庫)

八本脚の蝶 (河出文庫)

 

  ファッションの話はよくわからないが、やはり読書量が強烈である。就職してからも年に365冊以上、学生時代は2倍、小学生の時はその3倍読んだと書いてある。もちろん、数の問題ではないが質も伴っているように思える。震撼させられたのは以下の部分を読んだ時だ。3、4歳の頃の話だそうだ。

…私は世紀の大発見をした。

なんと、声を出さなくても本を読むことができるのだ。(中略)

それまで言葉は音そのものだったので、それらが分離しうるということには本当にめんくらった。(中略)

しかも、目で言葉を読むと、ものすごく速く本が読めるのだ。

私はこの発見に夢中になり、むさぼるように本を読んだ。

  難しいことを書いているわけじゃないが、自分とはスタート地点から違う気がした。生まれながらにしての「全身読書家」という感じだ。かなわないというか、競う気にもならない。ランナーに例えたら、自分とキプチョゲ以上に差があるように思える。今さらながら後悔しているが、子どもの頃にファンタジーの方向に足を踏み出していれば、もうちょっと幅のある読者ができたのではないか。シートンあたりから、ルパン、ホームズ物に行ってヘッセあたりもかじったが、中学になったら角川映画につられて横溝正史とか森村誠一とかに向かってしまった。と、当時の自分の読書傾向をくやんでも仕方あるまい。

 ほぼ2年前にネット上で読んだはずだが、忘却力に助けられて多くは新鮮な気持ちで読めた。仕事の合間に流し読みしたせいで、頭に残らなかった部分があったのだろう。それでもインパクトが強い部分はさすがに覚えていた。

 ネットで横書きで読み、本で縦書きで読んだが、昭和の人間だからか、縦書きの方がグッとせまってくるものがある。彼女が自死した日が近づいてくるにつれて、大きな波が押し寄せてくる。(この項、続きます)