晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「一投に賭ける」

 溝口和洋というやり投げの選手がいた。確かに記憶にはあるが、人となりまでは知らなかった。帯には、さまざまな伝説が書いてある。「高校のインターハイにアフロパーマで出場」「いつもタバコをふかし、酒も毎晩ボトル一本は軽い」「気に入らない新聞記者を袋叩きにした」――。それに釣られた形で読んだが、内容を見てみると多少の微調整は必要である。

 活躍したのは、1984年ロス五輪から90年の北京アジア大会あたりか。98年に現役を引退し、中京大で、ハンマー投げ室伏広治のコーチを務めた。1962年5月4日生まれ。本を読んでいる日が、主人公の誕生日だったとは、奇遇と言えば奇遇か。

 著者は上原善広さん。過去に被差別部落について書いた本を読んだことがある。著者は円盤投げをしていたとのこと。大阪体育大を出ているので、それ相当のレベルだったと考えられる。マスコミ嫌いの溝口氏に通い詰めて、その人生を本にまとめた。内容は、溝口氏が「私」で、一人称で書かれている。著者が取材対象のかなり信頼を得ているとも言えるし、本を読んだ限りでは、「お前に任せた。勝手に書け」とうっちゃってしまった気も少しする。

  副題に「最後の無頼派」と書かれているが、なるほど「昭和」な人である。過去に読んだアスリートの話では、野球の江夏豊氏に近い気がした。職人と言えば職人だが、もう少し羽目を外している気がしている。自分の価値観への忠実さが半端ない。

 徹底したウェイト練習。身体能力で欧米人に劣る日本人が勝つ術(すべ)を追求した結果、たどりついた彼なりの結論なのだろう。溝口氏だって180センチはあり、日本人としては立派な体なのだが。あまり考えたことがなかったが、確かに2.6メートル、800グラムのやりを遠くまで投げるこの競技は、上半身はやりを構えたままで、下半身は脚を交えるようにステップするという、上下別の動きを要求される。この本の第2章は技術論に割かれているが、わかったようなわからないような…。ここらへんは字面だけを追ってしまった。

 技術的なことは頭になくても、溝口氏の一途というべきか、決めたことを徹底的にやる、タバコだって酒だって自分が許した条件ならOKといった、自分勝手とも潔いとも言える主張は、何かと世知辛い今の時代からすると気持ちいいくらいだ。冒頭の「記者を袋叩きにした」のは、間違ったことを書いた記者を「追いかけてヘッドロックした」程度らしいが。

 現在は和歌山でキキョウを育てて生計を立てているようだ。「JAは教えるだけで不作でも何もしてくれない」。今でも、かつて日本の陸連に対してとった態度のように、自分なりの工夫でキキョウを育てているのだろう。彼をどこか懐かしい気がしたのは、自分のオヤジの世代の考え方に近いせいだろうか。