晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「狂言じゃ、狂言じゃ!」

 コロナ禍の影響で、興行は軒並み中止や延期。芸で生計を立てる人たちは当然困っているだろうけど、客だって鬱憤がたまる。毎月、国立劇場の情報誌が送られてくるのだが、一通り読ませた後に、紙きれ一枚が挟んであった。「掲載されている公演はすべて中止です」なんてことが書かれていて愕然とした。見通しが立たない中で、とりあえず予定されている公演で案内をつくったのは理解できるが、あまりにむなしい。

 暖かくなってきたのでスポーツを見るのもいいが、今は伝統芸能が見たい。その中でも狂言が見たい。横浜能楽堂の毎月一度の「狂言の日」は、苦手な能とセットになっていないので、お気に入りだった。敷居が低そうで気が楽なのだ。そんなに詳しいわけではない。落語や文楽なら、付き合いが長いので、それぞれ演者や演目に好き嫌いがあるのだが、狂言はまだ勉強中。とりあえず経験値を高めていこうという姿勢である。

  横浜能楽堂に再訪する日を夢見ながら、茂山千之丞狂言じゃ、狂言じゃ!」を読んだ。ずいぶん前の本で、すでに著者(2世)は他界し、お孫さんが3世千之丞としてその名を継いでいるそうだ。

 狂言の「骨董化」の危機感から書いた本だ。伝統芸能として埃をかぶっていくのを見かねたということなのだろう。野村萬斎さんは十分に狂言を広めているように見えるし、チョコレートプラネットの片方による和泉元彌さんのものまねでそれなりに身近な存在だと思うのだが。この文庫の元となった本は20年前に出ているので、当時はより危機感が強かったのかもしれない。

 読者を狂言の世界に誘う「入門書」という体だが、著者はあとがきで「出門書」という言葉を使っている。伝統芸能という出口を首尾よく通り抜けてこそ、狂言がより近い存在になるということだ。そんなに鯱張った芸能ではないというのをわかってほしいということだろう。一度見たことがある人なら、そんな印象はずいぶんと薄れると思う。

 2世千之丞さんは「狂言界の異端児」と呼ばれたらしい。本流をきちんと理解していないので異端児と言われてもピンとこないが、オペラ、宝塚、ストリップなど「異種格闘技」を繰り返して、狂言の普及に力をつくしてきたようだ。

 ちょっとわかった気になったので、狂言を一段と見たくなってきた。7月ごろには、横浜能楽堂狂言を見て野毛で一杯というベタなことができるだろうか。