晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「詩は友人を数える方法」

 なんか岩波ジュニア新書にある本のような題だが、講談社文芸文庫から出た、しっかり大人の値段の本だ。もちろん安いことに越したことはないが、読んだ後の満足度は高い。一言でいうと、「現代アメリカ版 奥の細道」か。読んでいて、これは芭蕉だなと思ったが、巻末の覚書に「詩はメンタリティの言語だ。その詩を知るには、旅をしなければならない。詩を入れ子とする紀行の方法は、なによりも芭蕉の紀行文にまなんだ」と書いてある。詩人が現地の詩と米国を旅する。

  見えてくるのは、摩天楼が立ち並ぶアメリカではない。現在、黒人差別に対するデモが行われているが、あまり人影も感じない。言ってしまえば、ごつごつした赤茶けた広い土地に、一本通った道路。そこに見えるのは、いつ車が立ち寄るかわからないような、ポツンと立つガソリンスタンド。聴こえてくるのは、カントリー&ウェスタンか、せいぜいウェストコーストというイメージ。勝手ながら、イーグルスのファーストアルバムのジャケットが頭に浮かぶ。紹介される詩は、全67篇。著者が訳している。

 長田弘さんは福島県出身の詩人。存在を知ったのは、社会人になってからだ。かつて銀座にあった近藤書店に、岩波やみすず書房晶文社の棚があって、その背表紙というか、本のタイトルで手にとったと記憶する。この本のタイトルも印象に残るが、「世界はうつくしいと」「私の二十世紀書店」と、なんか優しいタイトルが多いのだ。晶文社の本の場合は、平野甲賀さんの装幀が目に飛び込んでくる。弟さんが、翻訳家の青山南さんだということも知らなかった頃の話である。

 本に話を戻すと、人がでてこないわけではないが、自然に関する描写が多い。気に入ったは、5章にあたる「ストーリー・オブ・レイン」の締めの文章。

 物語としての雨。ミネソタの雨は、ミネソタの物語のように降る。ディキシーの雨は、ディキシーの物語のように降る。ワイオミングの雨は、ワイオミングの物語のように降る。そしてテキサスの雨は、テキサスの物語のように降る。その土地をよく語る言葉が、雨だ。

 ホイットマンや、ギンズバーグなどのビートニク、映画で知ったパターソンくらいしか、アメリカの詩人を知らなかったが、ここで引用された詩人の中に、もうちょっと知りたいなと思う詩人がいた。セオドア・レトキ(Theodore Roethke)。日本語訳は入手が難しそうなので、原文で頑張ってみようか。