晴走雨読 横鎌日記

無理しないランニング(最近ちょっと無理している)と気ままな読書について綴ります。横浜と鎌倉が中心。映画やお出かけもあり

「翻訳の授業 東京大学最終講義」

 仕事柄、翻訳めいたことをしなければいけないことがある。昔は人任せにできたが、いまは人的余裕も予算もないそうである。日→英は上手にできなくて当たり前なので居直れるが、英→日は、日本語のセンスの有無を問われているようで逆にちょっと恥ずかしい。それでもスムーズにやれれば楽だし、それなりの向上心もある。翻訳ものも読むので、翻訳論というのにも多少の興味はある。

翻訳の授業 東京大学最終講義 (朝日新書)
 

  トールキンなどを訳した山本史郎東京大学名誉教授の最終講義と銘打って、最終講義とこれまでの研究をまとめている。たぶん、この方の翻訳は読んだことはないはずだが、川端康成村上春樹三島由紀夫などの小説の英訳を材料にしているので興味を持った。

 たぶんJ・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」で野崎孝訳がいいとか、村上春樹訳(こちらの題は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」)がいいとか、話しているのはほぼ日本だけではないだろうか。世界の事情に通じているわけでないので断言はしないが、まれであるのは間違いないと思う。シェークスピアもそうだ。松岡和子訳(ちくま文庫)、河合祥一郎訳(角川文庫)、福田恒存訳(新潮文庫)、小田島雄志白水社Uブックス)のほか、岩波文庫にするか、光文社古典新訳文庫にするか迷った挙句、結局値段が安いのにしたりする。翻訳者で選ぶというのは、文化的になかなか贅沢である。

 名前が出たので村上春樹さんの「1Q84」を例に出すが、英訳は分厚い本だが1冊だ。オリジナルは単行本で3冊(文庫で6冊)だが、英米の人に分冊の本を読む習慣はあまりないらしい。トルストイ戦争と平和」もドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」も全部1冊だ。結構、大胆に割愛することもあるらしい。

 ここから、山本さんの本の話に入るのだが、英米では「最初から英語で書かれたかのうような英語に翻訳する」のが主流で、これを米国人研究者の理論でいうと「同化翻訳」というらしい。これをやってしまうと、冒頭4段落だけ紹介された三島由紀夫さんのある短編は、英語にするとほぼ半分になってしまう。日本の地名とか、たぶん米国人になじまない麻雀とかの要素がすべて省かれているのだ。逆に、オリジナルの言い回しや構文が見えるように訳すのを「異化翻訳」というらしい。

 こうなってくると、英米人は外国文学を「しっかり」読んでいないのではという気がしてくる。対象言語を学んだ人がオリジナルを読まない限り、その作家に完全に触れたことにならないのではないか。といいつつ、小説なんて粗筋を覚えているだけだから、それはそれでいいのではという気も同時にしてくる。

 この本、「同化翻訳」「異化翻訳」はほんの一部で、なかなか面白いことが書いてある。翻訳論に興味ある方は一読をすすめたい。ちなみに、「ライ麦畑」の翻訳について山本さんは、村上訳に軍配をあげている。