晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「カムカムエヴリバディ」2題

 NHKドラマはさほど見ないくせに、「カムカムエヴリバディ」の平川唯一さんには興味があって、本を二冊読んだ。どちらも筆者は、唯一さんの次男、洌(きよし)さん。PHP文庫の「『カムカムエヴリバディ』の平川唯一」が唯一の人生をたどった本で、NHK出版の「カムカムエヴリバディ 平川唯一と『ラジオ英語会話』の時代」は被るところは多いが、英語講座の方に焦点を合わせた本だ。どちらか一冊選べと言われれば、前者を選ぶ。文庫だから値段も安い。

 唯一さんは戦後の英語講座で、英語ブームを巻き起こした人。なぜそんなに英語ができたかを説明するとなると、生い立ちに触れる必要がある。詳しくは本を読んでほしいが、父親が相場に失敗して渡米。唯一さんが16歳の時に父親を呼び戻そうとして、逆に兄と一緒に米国に呼ばれることになった。ちなみに名前は唯一だが、次男である。

 現地の小学校に17歳で入学。子どもの英語を学ぶことからスタート。弁論大会にでるなど、話す方には素養があったと見える。大学では演劇を学んだ。ここできれいな英語を叩き込まれた。劇で演じる英国の発音法もカバーすることになる。卒業後には役者の仕事もやった。大学やハリウッドで脚本を学んだのものちに役に立った。

 帰国後にNHKに入る。清沢洌「暗黒日記」に平川唯一さんが登場してくる。お気づきかと思うが、次男の洌さんの名はこの外交評論家からとられたようだ。日記によると、清沢さんの唯一に対する評価は非常に高い。仕事も上々だったと思われる。天皇詔勅の英語版の放送を任されている。GHQによる東京放送会館接収の際に、その間に立たされる。NHKが拒むという選択肢はなかったはずだが、接収を通達する役目をしたことによって立場を悪くしてNHKを退職する。

 しかしまたNHKからラジオ英語会話講師の依頼が来る。本には書いていないが、洌さんはGHQが手を回したのではないかと別なところで語っている。英語は身に着けたが、教えたことがない唯一さんは、自分が習った方法で教えることにする。まるで赤ちゃんが言語取得するように英語を学ぶ方法を取ったのだ。現在なら、いや当時も、言語取得と外国語学習は別だという批判はあったかもしれない。しかし、唯一さんのやり方は大いに当たる。天皇マッカーサー並みの知名度を得ることになってしまうのだ。

 軽妙なアドリブのような語り口はすべて脚本によるものだった。不器用な唯一さん(しかし手先は器用だったそうだ)は演じるように脚本に従って講座を進めていた。臨時ニュースが放送に割り込んだりすると、途端にどうしていいのかわからなくなり、「休講」にしたほどだそうだ。

 戦後直後に敵国の言葉を学ぼうと英語ブームになったのは、英語の先に自由や豊かさがあると信じていた人が多かったからだろう。しかしまあ、日本人ってつくづく英語が好きなんだなあと思わされる本だった。