昔、中華街に「チェッカーズ・クラブ」があった頃、そこで年配の女性に、イッキ飲みで勝負しないと言われて受けたところ、こちらが半分過ぎくらいなのに、相手はすでに飲み干していたことがあった。酒の強弱はともかく、食道を全開にするなにかしらの技術を持っているとしか思えないような飲みっぷり。
酒は何だったのかは思い出せない。ビールだったのか、水割りだったのか、何かをミックスしたものだったのか。ただ憶えているのは、こちらが負けた後、「You payね」と彼女に言われてイッキ飲みの分の支払いをこちらが持ったことである。たぶん、この店に限らず、どこかの酒場に現れては、こうして一杯二杯とただで酒をせしめているのではないか。
それ以外でも、飲み屋や旅行先で見事な飲みっぷりの女性に遭遇し感嘆したことがあり、「とことん飲める女性」にはかなわないという畏敬の念みたいなものが自分にはある。
そんな体験からか思わず手が伸びたのが、「泥酔懺悔」(ちくま文庫)だ。朝倉かすみ、中島たい子、瀧波ユカリ、平松洋子、室井滋、中野翠、西加奈子、山崎ナオコーラ、三浦しをん、大道珠貴、角田光代、藤野可織が酒に関する文を寄せている。しかし、やや看板に偽りありか。
下戸の話がいくつか入っているからではない。中野翠が下戸というのはちょっと驚いたものの、全般として、酒を突き放したような目で見ているからである。まだまだ対象化していて、同一化していないというべきか。読んでみて、この人と「飲んだら楽しいだろうな」と思ったのは、三浦しをんくらいか。室井滋は「ザル」らしいが、酒が無くとも困らない健全な酒飲みだそうで、あえてそう書かれると、なんか寂しい。
米原万里が生きていたら、もう少しスケールの大きい話が読めたかも知れない。いやいや、存命人物の岸本佐知子や鴻巣友希子でも、もっと酒への愛があるはず。と思うと、ちょっと筆者の選択に工夫があっても良かった気がする。