晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「人生タクシー」

 遅ればせながらジャファル・パナヒ監督「人生タクシー」を見た。パナヒ監督がアッバス・キアロスタミ監督の助監督であったことと、イラン映画は久しぶりとの理由がメインで、ベルリンでの金熊賞受賞は付録みたいものだったが、なるほど受賞も納得という作品だった。作品云々はともかくとして、こんなに映画人に訴える映画もないだろう。松江哲朗監督の「不自由だから自由な作品」との評がこの作品を言い尽くしている。

 事前情報をあまり入れずにふとレイトショーを見ることがあり(CDのジャケ買いみたいで時に楽しい)、この「人生タクシー」も先に書いたことくらいしか、頭になく座席に。そのせいか、逆に衝撃が強かった。ある意味、大当たりをひいた。単にこの映画を誰かに語りたいという気持ちのみで、今書いている。

 カメラは最後までパナヒ監督自身が運転するタクシーから出ることはない。車内と車内から撮影したシーンだけで映画が成立する。これだけでイランの内情を、皮肉を交えながらユーモアを含んで語る映画ができてしまうのだ。

 冒頭からフロントガラス越しに見えるシーンが長く続く。キアロスタミの「オリーブの林をぬけて」だったろうか、それとも「そして人生はつづく」だったろうか、ラストに子どもが林を駆けあがっていくのが長く続くシーンがあったが、その記憶がよみがえってきて、イラン映画だなあという気持ちにさせられる。タクシーの運転手は、パナヒ監督自身。本人として登場し、いろんな客が乗ってくる。

 金魚鉢を持ったおばあさん二人、政府に資格を剥奪された弁護士、交通事故に遭った夫と泣き叫ぶ妻、そして客ではないが、学校帰りの姪…。それぞれとの会話ややりとりがイランの現状や、パナヒ監督が置かれている立場に触れていく。随分と重い話題をさらりと口に出すかと思えば、何かを示唆しているようなセリフもある。

 この監督、反体制的な活動を理由に2010年より20年の映画監督禁止令を受けているという。正確には1995年発表の長編デビュー作だけが、国内で上映許可を得ていて、その他「不許可」映画の製作数は相当数にのぼるが、カンヌ、ベネチア、ベルリンの映画祭で受賞するなど国際的な評価は高い。映画監督の禁止のみではなく、脚本や海外渡航、インタビューを受けることも禁じられているという。禁止を受けた2010年以降も自宅で映画を撮ってはUSBを海外に持ち出してもらうなど、映画で見せる柔和な表情の割には反骨精神も相当に強いようだ。

 今回の映画も、海外にいるイランの人たちは見ることもできるし、当局だって把握しているはずである。タクシーからカメラこそ出していないが、やはりこれは映画であり(しかも傑作)、出演者もどのような弁明をするかはわからない。たぶん監督と意を同じくする者だろうけど。当局に聴取されたら、生活に困ってタクシー運転手をしていて、カメラを偶然回したら、いろんな人が乗ってきて…、なんてことを話すのだろうか。

 いずれにしても、この作品は映画の可能性を一段と広げたような気がしている。不自由の中でも、こんなこともできるのかと感嘆した次第である。他の作品も手に入るだろうか。見てみたい。