晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

文楽「菅原伝授手習鑑」 六代豊竹呂太夫襲名披露

 文楽「菅原伝授手習鑑」を見に国立劇場へ。初日はまだ粗いので避けるか、通の方は初日、中日、千秋楽と出し物がなじむのを楽しむらしいが、あいにくそんな金銭的、時間的余裕はない。初日のチケットがとれたのでそれで良しとする。襲名披露口上を最初に見れることを考えると初日もそれなりに意味があろう。「おめでとうございます」という言葉が関係者(?)内では交わされて、それなりに華やかな雰囲気。文楽にそぐわないややアロハっぽい格好の自分をやや反省。ジャケットくらい羽織ってくるべきだったか。雨でやや肌寒い日だった。

 落語の襲名披露や真打昇進披露は見たことがあるが、文楽のは初めて――、と思っていたが、豊竹英太夫改め六代豊竹呂太夫襲名披露口上を見ているうちに、このようなシーンは見たことあるぞと確信した。桐竹勘十郎の襲名披露口上を見ているはず。2003年なので、まず間違いない。この頃は東京公演はすべての演目、東京・神奈川あたりの地方公演も通っていた。

 呂太夫襲名口上も温かい雰囲気がして、なかなか良かった。鶴澤清治さんの口上がぶっきらぼうでありながら、それでいて親身な感じがした。ちびまる子ちゃんのお父さんみたいだった。後ろの千歳太夫の口元が緩んで、もう少しで笑い出しそうに見えた。呂勢太夫が司会役だったが、緊張したせいか、ややカミカミ。三日もすれば慣れるだろう。襲名披露狂言となった「寺子屋の段」の前半は、呂太夫が落ち着いてこなした。

 今回の文楽で「収穫」と思えたのは、咲寿太夫がしっかり見れたこと。まだ上手いとはいえないが、強い印象が残った。

 文楽を鑑賞を再開して公演プログラムで、「妙に美形がいる」と気になっていた存在ではあった。今回の「菅原」では「喧嘩の段」を任された(21日まで)。プログラムでは、ウエンツ瑛士系に見えた咲寿太夫が、舞台ではEXILEのボーカルのTAKAHIROのように見えた。髪型のせいなのか、紅潮した顔のせいなのか。「喧嘩の段」はのちの「桜丸切腹の段」や「寺子屋の段」の伏線となる、なかなかおいしい場面である。

 四郎九郎は70の誕生日を機に白太夫と名を替えることになっており、祝儀には3つ子の息子(梅王丸、松王丸、桜丸)とその嫁が訪れることになっている。面倒なことに、その3人の息子が仕える相手はそれぞれ別々。しかし、勝負は祝儀まで控える約束になっている。3人の嫁は四郎九郎の家に来て、祝いの準備を始めるが、夫たちは姿を見せない。その後、現れた松王丸と梅王丸が喧嘩を始め、3つ子をシンボライズする梅と松と桜の木のうち、桜の木を折ってしまう。

 東京公演の初日だけに緊張した面持ちだった。初舞台から10年以上経っているが、大事な試合を任された若手投手がマウンドに立っているような表情だった。たぶん、一声目というのは結構難しいのではないだろうか。おい、大丈夫かよ、と瞬間思ったが、短い間をおいて、投じられたのは力のこもったボールだった。野球の表現を続けて借りていくと、うわずっているけどなんか三振もとれそうな勢いのあるボール。肩の力を抜いた方がいいのだろうけど、周りを気持ちよくさせるような、良い意味での〝力み〟があったように見えた。狙ってもだせないような、爽快感というか。今後の文楽鑑賞の楽しみが増えたような気持ちだ。

 22日から、その舞台を継ぐのは小住太夫。今回は「寿柱立万歳」で大勢のうちの一人だったが、こちらは名前からして、前から注目。芸歴はこちらの方が短いが、結構練れているように見える。こちらは前の東京公演あたりから気にしてみている。