晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「読書の価値」

 書店の講談社文庫の棚を見ると(著者別の棚になっているところも)、森博嗣のグレーの背表紙が並んでいるのに圧倒される。しかも、一冊が厚い。あれを見て、あえて森博嗣を征服したいと思うのは相当な強者のはずだ。存在を意識しながらも、手をつけるにはひるんでしまう作家という印象。が、この本は題に「読書」とある。「読書」プラス単発ならというのが手が伸びた理由だが、なかなかユニークな読書論だった。

読書の価値 (NHK出版新書 547)

読書の価値 (NHK出版新書 547)

 

  森博嗣という作家。あれだけの数の本をだしているので、メジャーといえばメジャーだろうが、自分が1作品も読んでいないので素直に認めがたい気がしている。メジャーとはいえ、誰もが読んでいるという感じでもない。熱烈なファンがいるというところだろうか。この「読書の価値」の冒頭には、著者と読書の関係について書かれている。これが意表をつくというか、発想の根本が違うというべきか、新鮮だった。

 森氏は読書が苦手だった。視力が一つの理由。極度の遠視のため、本にピントが合わないらしい。視力が4.0だったらしくて、2.0から0.4くらいまで落ちている人間にはそれこそピンとこない。老眼鏡をかけたり、PCのモニターを離したりして、歳をとるに連れて「読書環境」が整ってきているらしい。

 うらやましいことに読んだ本は忘れないらしい。登場人物の固有名詞などは忘れることもあるが、アウトラインはとらえているらしいのだ。視力の問題で、特に若い時(幼い時)は字を一つ一つ追う形で非常に遅読らしく、その分、しっかりと内容を把握しているようだ。速読は字面を追っているだけで読書ではないとまで書いている。著作から想像できるが、数学にはまり、大学に入ってからはミステリ(森氏はミステリィと書く。その他外来語のカタカナ表記はやや独特)を読みだす。

 本選びは人選びに近いと書く。「未知」「確認」。新しいことに遭遇することと興味を持っていることへの再アプローチ。森氏は本を手に取るのはほぼ前者の理由だそうである。まったく知らない分野の雑誌を読むこともあるようなので、ここらへんまでは納得する。

 本はすすめられて読むものでもないという部分も納得。最近はないが、昔は何を読んだらいいかよく聞かれて、困った記憶がある。森氏はこれも人選びと同様と考え、「誰と友達となったらいいか」と人に聞くか?と切り返す。でも、そんな人間もいそうな気がする。森氏は「本は自分で選べ」と力説する(力む人じゃないかもしれないけど)。

 工学博士らしく(というか、その道に進んだ人らしく?)、なんか話の進め方が論理的というか公式的。時に味気ないと思える視点もあるが、それはそれで森博嗣的なのだろう。話は、文章力や読書事情にまで進む。

 著者は、作家生活からはフェードアウト中で徐々に仕事を減らしているという。確かに、書店の棚を見てみると、「灰色の塊」に見えていた森氏の文庫本も、後半に行くと、本としては薄目のエッセイが並んでいたりする。「すべてがFになる」くらい、読んでみようかと思った。