晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「白い孤影 ヨコハマメリー」

 メリーさん。

 初めて目にしたときは、ギョッとしたはずだが、その記憶はない。彼女が「メリーさん」と呼ばれていると誰かに聞いたはずだが、覚えてもいない。たぶん最初のうちは、見た見たと友人の間で話したこともあったと思う。でも、いつの間にかメリーさんを目にすることが普通になっていた。

 馬車道ディスクユニオンが入ったビルに有隣堂の文具店「ユーリンファボリ」も入っていた当時、そのビルの前のベンチに座っていたメリーさんをよく見かけた。当時、1階は貴金属店だったか(今はスターバックス)。あと、伊勢佐木町でのメインストリートから福富町側に入った通りでよく見かけた。

 社会人になってからも、東京の友人に「メリーさんが見たい」と言われ、伊勢佐木町に連れて行ったら簡単に出くわしたことがあった。なんか失礼だった気もするが、友人が妙に感動していたのを思い出す(俺って横浜通だろって、勝ち誇った気持ちにもなってたかも)。その後、写真集がでたり、映画になったり、舞台になったりと、横浜を象徴するトピックの一つとなった。

白い孤影 ヨコハマメリー (ちくま文庫)

白い孤影 ヨコハマメリー (ちくま文庫)

 

  いわば都市伝説的な扱いだったし、横浜と縁のない人は知らないことだろう。簡単に書くと、外国人を相手にする娼婦だった人で、その特異な白塗りメークとフリルのついた服装で人々の注目を浴びていた。2005年に亡くなっている。

 その「伝説」を追ったこの本。そもそも横浜や横須賀の「夜の世界」を書いていた著者の集大成とも言えるかも。過去の取材に触れることも多く、時に脱線が過ぎるが、その脱線したネタも面白い。著者の檀原照和氏はメリーさんを直接見たことはないという。

 メリーさんは横須賀を拠点にした時期もあったらしく、その時は「皇后陛下」と呼ばれていたそうだ。彼女がホームレス状態になって寝床にしていた福富町のビル周辺や昔あった「森永ラブ」の従業員、親交?があったクリーニング店、焼き鳥店の人々に話を聞き、当時の社会状況などを鑑みながら、メリーさんの正体、そしてその名前の由来などに迫っていく。とうとう関西地方にある実家にも…。

 若い時分の「共通の話題」になっていた人だけに興味は尽きずほぼ一気読み。時代を自分なりに整理する意味でも役に立った。メリーさんが話すところは見たことがなかったが、取材対象の証言から肉声が聞こえてくるようでもあった。

 取材の手法までも活字にしていった本。著者曰く、出版元の筑摩書房の編集者から、1人称で書くように言われたとのこと。内容はもちろん、作り方も面白かった。ついでだが、著者は結構ロマンティストでは。彼なりに導いた結びを読んで、そう思った。