晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「〈いのち〉とがん」

 副題は「患者となって考えたこと」。筆者はNHKで番組制作に携わっていた坂井律子さんだが、すでに亡くなっている。膵臓がんが原因だ。副題の通り、患って感じたこと、考えたこと、勉強したこと、憤ったことなどが書かれている。人に伝えることを仕事としてきた筆者が、がんと診断されてから絶命までを綴る。

〈いのち〉とがん: 患者となって考えたこと (岩波新書 新赤版 1759)
 

  そもそも彼女の取材のテーマには「出生前診断(遺伝子検査)」があった。重大な疾患があるかどうかを出産前に判断することではあるが、その「重大な疾患」の定義というか、線引きがなされていない。逆にこれだと決めつけることによって、いわば選択的に重大だと決められてしまうのを避けるためともいえるそうだ。「命の選別」につながるテーマなので、ここで深入りはやめるが、筆者は「いのち」に関しては一般の人よりは敏感に感じうる立場にいたのだ。

 さて、筆者は2016年に自分ががんだと診断される。がん家系という自覚もあってそれなりの覚悟はあった。いわゆる「頭が真っ白」にはならなかったようだ。それ相応の知識もあり、膵臓がんとの闘病が厳しいものになるというのも知っていた。5年生存率は9%。

 まだ自分には縁がないと思っていたので、知らない言葉が出てくる。PETというのは、もちろんペットボトルのことではなくて、ポジトロン・エミッション・トモグラフィーの略称でがん検査法のことだそうである。薬でがんに目印をつけておく検査だとか。周りにがん患者が徐々に増え始めているが、これまでこの言葉を知らなかったのは、幸せだったのか、世事に疎いだけなのか。

 読み続けていくと膵臓がんというよりも、がんそのものに関する知識がないことが実感させられる。確かにドラマでは、手術がクライマックスだったり、ゴールだったりするが、ここでは手術はスタートラインと書いてある。

 自らもがんについて学び、副作用と戦っていく。副作用も個人差があり、自分なりの状態を記している。そして闘病中にも友人ががんでこの世を去っていく――。筆者が書いた最後の章の日付は2018年11月4日。亡くなったのは同月26日だそうだ。

 なってみないとわからないのが、がんなどの病気であるが、幸い老いは十分すぎるほど感じているが、まだ体調はまずまずのようだ。歯とか腰とかは昔のような状態でないのははっきりしているが。自分にがんに罹るかどうかは別として、人生の終盤の向き合い方を教わった気がしている。人生の後半だというのは自覚しているが、病気というのは一気に終盤に運んでしまう。たぶんそこは急に「駆け足」なってしまうのだろうなと。少しばかり、覚悟ができた気がする。弱気になったという意味ではなくて。