本田靖春「不当逮捕」を読んだ。再読のつもりで読んでいたが、実は初めてだったらしい。そもそも週刊ヤングジャンプの「栄光なき天才たち」で「不当逮捕」の漫画版を読んだのが、読売新聞の記者・立松和博を知ったきっかけだが、活字でも読んでいると信じ込んでいた。また読んでみるかと、キンドル版で購入。そうだった、そうだったと頷きながら読んでいたが、金子文子と朴烈(パク・ヨル)の予審を担当した判事が立松の父の懐清だったというくだりで、これは未読だったのではという気持ちになった。読んでいたとしても20数年前だし、その部分を忘れていた可能性も大きい。立松の父のパートが最近見た映画のおかげで、妙に記憶に新しいということもあるだろう。
本書は、読売新聞社会部のエース的存在だった立松和博に可愛がられた本田氏が、売春汚職事件の報道によって名誉棄損で逮捕された立松と、その「不当逮捕」の背後にある政治の動きや検察の権力争いを書いたノンフィクション。真実だと信じて報道したものの、報道によって不利益を被ったとして名誉棄損で記者や新聞社を訴えるのは、構図的には現代でも十分起こり得るので、興味深く読んだ。いやいや報道関係だけではなく、一般の人も発信力を持つ時代。構図的には一層起こり得ると言っていいのかもしれない。
その前には石井記者事件というのもあったらしい。判例としては有名らしいが、本書で初めて知った。税務署の収賄事件を報道した朝日新聞の石井記者が、公務員の機密漏洩があったとして召喚されては証言を求められ、その証言を拒否したというもの。証言拒否は新聞記者の倫理であって、証言拒否は認められないという最高裁判決が有罪を認めている。
本題に戻ると、記者としての立松和博はそれこそ取材相手に貸しを作らせては、心理的にマウントする手法だったのだろうか。とにかくネタをとってくる記者だったらしい。いたずら好きで、茶目っ気もある。読売新聞において、最初のマイカー取得者だったらしい。本人は親の七光りなどは受けぬという性格だったように見受けられるが、判事だった父の人脈もあったように思える。取材先が取材側の顔や出自を知っていれば、それだけで取材が有利に運ぶこともあろう。
面白いのは、立松が逮捕されたタイミングで、読売はまったく報道せず静観していたとのこと。他のメディアのバックアップを見て、紙面に掲載したとのことだ。本田氏は、朝日は洗練、毎日はのんびりといった社風と書いてある。ピンとこないが、そんな時代だったのかもしれない。
結局、立松がとってきたネタは誤報となり、読売は記事の取り消し。立松は失意の底に。そもそも病気から復帰してからの逮捕。その後も入院。しかし体の健康よりも精神的なショックが大きかったのだろう。読売にも彼の存在をよしとしない人間たちがいて、結局ははしごを外された。なんとも物悲しい最後である。同時に新聞記者が花形だった時代だというのを十分に感じされる本でもある。
本田靖春の作品がキンドルで手に入るのはうれしい限り。メインの作品はほぼ読んでいると思うが、光の当たらなかった作品も少しずつ読んでいきたい。