晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「宣教のヨーロッパ」

 歴史で習う、フランシスコ・ザビエル。日本にキリスト教を布教した人だが、この人はイエズス会の人である。キリスト教が、カトリックプロテスタントという大きな区切り以外にも、様々な宗派というか会派というかが存在しているのは、キリスト教に縁のない自分でもわかっているつもりだ。このイエズス会、英語だと Jesuit と書くのだが、詭弁とか陰険(な人)という意味もあるらしい。

 たぶんその勢力の強さ故なのだろう。アンチ巨人の野球ファンが、読売ジャイアンツに対して、カネでいい選手を横取りするとか傲慢などと思うのに近いのではないか。しかしながら、言葉として悪い意味が定着して辞書に載ってしまうというのはすごいこと。この〝強さ〟の解明というか興味が、この本を読んだ動機である。副題には「大航海時代イエズス会托鉢修道会」とある。著者は、佐藤彰一・名古屋大名誉教授。

  イグナティウス(イグナチオ)・デ・ロヨラが15世紀末にスペイン・バスク地方で誕生。フランスやスペインで知り合った7人で、1534年にイエズス会を結成。40年に教皇パウルス3世に承認された。この中には、ザビエルも含まれていた。19世紀のイギリス人学者(ジョン・アディントン・シモンズ)は彼らを「七人のスペインの悪魔」と称し、「恥ずべき教養と、恥知らずの虚言を弄し、罪深い虚言家」と形容した。もしかしたら、この人の発言や著述が Jesuit という言葉の悪い方の意味を定着させたのかもしれない。カトリックイエズス会に対し、この学者さんはプロテスタント。勢いのあったイエズス会への反発ともとれる。ちなみに、イエズス会創始者メンバーは全員がスペイン人だったわけではない。

 大きく成長したイエズス会は、時の教皇に警戒されるような存在にもなった。貿易活動に乗じて、ポルトガルやスペインの植民地開拓ととも世界に広がっていった。日本に進出したのもこの流れだ。ザビエルはマラッカで日本人に出会う。アンジロウ(ヤジロウ)である。アンジロウの印象が良かったのか、日本人は発見した新大陸の中で、最も知識欲が旺盛な民族であるとザビエルは書いている。そして、日本にはできるだけ知的水準が高い者を派遣することにしたという。

 その後、フランチェスコ会も後追いで日本に進出するが、ザビエルの時代は戦国時代で大名の競合関係のはざまで立ち振る舞うことができたものの、フランチェスコ会が進出した時は、集権化が進み、時の支配者に意向に左右される部分が増え、イエズス会も含め、日本においてキリスト教にとってつらい時期もあったのは皆さんご存じのところ。

 イエズス会というのは教育に熱心で、自ら教育カリキュラムを準備して、布教先には大学など教育施設などを作っていく。いまでも上智大や、いくつかの男子校がある。それぞれ進学校と言われるレベルなので、今の日本の教育システムとどう折り合っているのか、少し興味ある。ちょっと尻切れだけど、この項終わり。