晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「横浜本牧・英語亭」

 東京や神奈川の緊急事態宣言解除はまだ先になりそうだ。ここ数日は、神奈川の感染者の数が東京よりも多いときがある。神奈川は院内感染が目立つ。でも、よその地域の解除によって、ここらも商売を再開するところが増えてきた。再開した古書店で見つけた本が、松廣茂「横浜本牧・英語亭」だ。横浜に移住してきたころにあった焼き鳥屋の店主が書いた本。そのころを振り返るつもりで買って読んでみた。どうしてもローカルな話になってしまう。

横浜本牧・英語亭

横浜本牧・英語亭

 

  親戚を頼って横浜に来たのが1980年代前半。新山下の見晴トンネルはまだひとつで、新山下3丁目には米軍の宿舎跡地として、まだ「Bayside Courts」のアーチがかかったままだった。そのトンネルとくぐって、本牧通りに近いところに「英語亭」があった。屋号のインパクトの強さと、掲げてあったフィリピンの旗を覚えている。当時は、金銭的に一杯飲みに行く余裕がなかったので素通りしていた。まだ、本牧にはVFWやVENICE、イタリアンガーデンが残っていたし、LINDYというディスコもあった。通りには、書店やゲームセンターがあったので、休みの日には、トンネルを抜けてよく本牧側に来ていた。

 英語亭の前に通っていた時に、たまたま扉が開いていて目に入ったのが、「政治、宗教、プロ野球の話題は禁止する 山手警察署署長代行」という張り紙。本を読んでみると、実際はその三つに「保険」も加わっていたそうである。保険の契約で店で悶着があったらしい。

 本は店主であった松廣さんが、当時の客や店員などを回想したもの。多くは、客の色恋もの。酒場でよく聞くような話が多い。ただ、場所柄インターナショナル。といっても、米豪、フィリピン、韓国、中国って程度だが。中華街は比較的近いし、より近くに米政府の日本語研修所もあるし、韓国領事館もある。オーバーステイなんて、いまよりもずっと日常的な話題だった気がする。

 30年前あたりを思い出しながら読んだが、不思議といつ英語亭が閉まったのかが記憶にない。一度も行ったことがないせいか、ああ、なくなったかと普通に受け止めたようだ。のちに自分の行き先が、野毛、関内となっていて、本牧に足が向くことがなかったからかもしれない。そのくせ、友人が遊び来ると、いわゆるマイカルの方まで足を延ばしていた。自分みたいな傾向の奴が増えたのが、店を閉める理由になったかもしれない。

 著者は、この周辺に4店舗ほど構えていた時期があったという。巻末には著者自身のことが書かれていて、親族が投獄されたりと、まさに波乱万丈な人生を送っていた人らしい。もうちょっとフィリピンへの愛情がいかに生じたのかを書き込んでほしい気がしたのと、回想を書くのはいいが、もうちょっと読ませる工夫をしてほしかった。これは、本人よりも編集者を責めるべきかもしれない。素材はかなり面白いのに。

 本には、関内が繁華街でおカネを落とす場所として描かれていた。いい時代だったなあ、と遠くを見るような目になってしまった。