晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「山本直純と小澤征爾」小澤編

 単純に山本直純さんについてもっと知りたいので購入した本。「オーケストラがやって来た」は本人が書いたものだし、70年代あたりまでの話なので、2002年に亡くなった人の評伝としては物足りない。この本はタイトルの通りに、小澤征爾さんとの絡みだが、世界的に名声を得ている「世界の小澤」は存命だし、これから語られることも多いはずだ。著者の柴田克彦さんもたぶん「もっと山本直純を知ってほしい」という気持ちで書いたのではないか。

山本直純と小澤征爾 (朝日新書)

山本直純と小澤征爾 (朝日新書)

  • 作者:柴田克彦
  • 発売日: 2017/09/13
  • メディア: 新書
 

  帯にある「埋もれた天才」と「世界の巨匠」もそうだが、同じく帯の裏側の「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレ(山本直純)はその底辺を広げる仕事をするからお前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ。征爾が帰ってきたら、お前のためのオーケストラをちゃんと日本に用意しておくから」というセリフ。「直純は音楽を大衆化し、小澤は大衆を音楽化した」というあるプロデューサーの言葉。小澤征爾という存在をものさしにして、山本直純という音楽家を分かってもらう本と言っていいだろう。

 長くなりそうなので、今回は「小澤編」として小澤氏の話を書く。この本は、小澤氏の生い立ちから成功までについても十分にページが割かれている。。板垣征四郎石原莞爾から「征爾」という勇ましい名前がついたというのは、あまりストレートすぎて逆に驚いたが、カラヤンバーンスタインの薫陶を受け、ウィーンやベルリンのフィルハーモニーでも定期的に指揮をするなど、世界のトップクラスに指揮者にのぼりつめた。ヨーロッパ滞在時に仕事がなく、国内の交響楽団に誘われたこともあり小澤氏の気持ちも帰国に傾いていたが、パリで会った作家の井上靖さんは「文学者が海外の人に作品を読んでもらうのは難しい。音楽なら翻訳なしでも外国の人が聴いてくれる。どんなことがあっても、ここにいなさい」と止めたという。

 1962年のN響事件についても書かれている。いわゆる指揮者・小澤氏をNHK交響楽団の楽員がボイコットした事件だ。当時、小澤氏は27歳。楽団員たちの平均は40歳程度だったそうだ。本人も経験不足を認めており、若い指揮者に対する楽員の感情的な反発もあったようだ。キャンセルされた定期公演の当日、小澤氏は一人で無人東京文化会館の指揮台に立つ。この姿が報道されて話題になった。この本に書かれた部分ではないが、これは浅利慶太さんが記者たちを呼んで仕組んでいたそうだ。このような「演出」もする人だなと思った。

 一方、「小澤征爾の音楽を聴く会」が石原慎太郎三島由紀夫などの名士が発起人となって開催されている。失意の小澤氏を励ますという意味合いもあったのだろう。

 本を通じて見えてくるのが小澤氏の「人たらし」のところか。無類の子煩悩、人の不幸に真っ先に駆けつけるなど、それを匂わせる部分はあるが、はっきりしたエピソードなどはなかったように思える。ただ、人の懐に入る才能がある人と思わせる部分はところどころにあった。考えてみれば、小澤氏の音楽は、「ニューイヤー・コンサート」や「ノーヴェンバー・ステップス」くらいしか持っていない。じっくり聴いてみないと。