晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

 小旅行に出る直前に部屋で見かけて、そのまま手にしながら電車へ。移動中に一気読みした。米原万里嘘つきアーニャの真っ赤な真実」。大宅賞も受賞しているし、米原さんの作品の中でも有名な一冊だが、自分にはラーメンのチャーシューを残して食べる習性があるらしく、ここまで積読していた。

 元衆院議員の米原昶氏の娘として生まれ、昶氏が各国共産党の理論情報誌「平和と社会主義の諸問題」の編集委員としてプラハに赴任したため、9歳から14歳の間は、在チェコスロバキアソビエト大使館の付属学校に通った。妹は、故井上ひさしの妻のユリさん。学校の後輩に、東大名誉教授の小森陽一さんんがいる。学校には約50カ国から生徒が集まってきていたという。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
 

  その時に同級生だった3人の級友に、いわゆる東欧革命以後に会いに行くという話で、級友にあわせて3部構成になっている。ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それぞれとのソビエト学校時代を振り返り、30年後の「現在」に再会する。その間に米原さんは、東京外大や東大大学院の修士課程などを経て、日本語ーロシア語の同時通訳に。米原さん本人も、帰国後に気にかけていたが、級友たちの人生を変えたのは、1968年の「プラハの春」だった。

 東欧革命やベルリンの壁の崩壊、ソ連解体は、自分が社会人になった直後で、昭和の終わりとともに「まるで歴史の転換点を体験している」ようで、ちょっとした興奮を覚えた記憶がある。当時は東欧型社会主義とアジア型社会主義の違いなどを、それなりに学習したが、あまり自分の生活に変化はなかった(ある方がおかしいか?)。その点、現在のコロナ禍も歴史の転換点という意味では一緒だろうが、生活に直接的に関わってくる面では大違いである。

 本に戻って、最初のリッツァの部分はイントロも兼ねているのでソビエト学校という特異な環境の説明が主となる。そして、当時のチェコスロバキアソ連の距離感もそれとなく示される。やはり肝は、表題作でもあるアーニャの回である。先に書いた通り、ルーマニアの出身だ。中年以上の人なら、チャウチェスク大統領の事を覚えているだろう。どこの国の偉い奴にもいるだろうが、独裁体制下で私腹をこやしまくっていた指導者で、最後(1989年)には銃殺の憂き目にあった人物である。独裁の手法は中国や北朝鮮に学んだとされる。

 各国からこの学校に集まる生徒たちはそれなりの立場の子弟たちと思われる。米原万里さんだって、共産党から出馬して衆院で3回当選して、「赤旗」の編集局長や党幹部を務めた方のお子様である。私腹云々とは無関係とは思うが、一目置かれる存在であったのは確かだろう。で、アーニャだが、お手伝いさん付きのお屋敷に住む、いわば特権階級と言える。「放言癖」があると思われていたのだが、実はそれが真っ赤な「真実」とわかる理由があった。右や左、資本主義か社会主義かだけでは片づけられない事情がヨーロッパにはある(どこにでもある)。宗教や民族などの問題が絡んでくる。アーニャの一家が、共産主義とは相いれない生活を送っていたのは彼らなりの理由があった。

 ユーゴスラビア出身のヤスミンカについていえば、その後のバルカン半島情勢が物語るとおりの問題が関わっている。英仏独伊などG7を除いた、ヨーロッパ現代史を読んでいるような気持ちになった。

 米原さんが、この3人に会うことにしたのは複雑な背景を持つ人たちだったからだろうか(再会して知ったことが多いのだろうけど)。仲良かった3人を選んだら、たまたまそうだったのか。多くの級友と会った中から3人を選んだのか。いずれにせよ、がんがなければ、年齢的にはまだ彼女の文章を読めたはずなのにと思うと残念でならない。

 20年くらい前に友人が話していた国家観・民族観が、妙にこの本の内容から触発された部分と重なることがあって、推測ながら「あいつ、この本を読んでいたんだな」と遅まきながら合点している。