晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「日本の英語教育」

 今年度から、小学校に英語が正式に導入された。これまでも「外国語活動」が導入されていたが、科目の一つとなったということだ。対象は、小学校5、6年生。英語に触れる「外国語活動」は小3、4が対象と前倒しされている。科目となるということは、評価されるということ。つまり通信簿に英語の成績が加わることになる。となると、児童の英語を評価できる先生が必要となる。

 そこで、山田雄一郎「日本の英語教育」という本を読んでみた。失礼ながら、著者は最近の英語教育論争ではあまり聞かない名前だし、著書もここ10年は出ていない様子。ただ、読んでわかったのは、日本の英語教育の停滞期間が長いこと。言うまでもないか。2005年の刊行ながら、事情はほぼ変わっていない。あえて古い本を読んだのは、当時の英語教育の立ち位置を知りたかったからだ。

日本の英語教育 (岩波新書)

日本の英語教育 (岩波新書)

 

  昨年、センター試験を受け継ぐ共通テストでの英語民間試験は再検討という状態になったが、その是非が話題になっている時にひとつの物差しとしてやたら登場したのが、CEFR(セファールと呼ぶ人が多い)という欧州の共同基準である。CEFRの歴史が割と古いのは知っていたが、日本でもこの時にはその存在を認識していたのがわかった。専門家だから当然と言えば当然か。この本にも書いているが、CEFRは何点以上はこの段階といった明確な線引きができるものではない。その意味では、1点を競うような受験に当てはめるのは乱暴だった。今後、その可能性がないわけじゃないけど。

 筆者が述べているのは多岐にわたるが、要はこれまで(本が書かれた時期までだが、たぶん今も)の日本の英語教育の政策があまり論理に基づいたものでなく、「英語がもっとできればいい」といった気分や焦りに左右されているということ。今回の英語へのテコ入れも、そもそも経済界の要請だったりするわけある。「グローバルな競争力をつけるため」「そうでないと日本は立ち遅れる」なんて話だったと思うが、そんな雰囲気により小学校英語や英語民間試験とやらの政策が出てきて、中には実現されるものが出てくる。

 先日、ラジオを聴いていたら、金田一秀穂さんは講演で聴衆に、これまでの人生でどうしても英語を使わなければいけなかった状態に陥ったことはあるか、と聞くことがあるらしい。そうすると、聴衆100人、200人に対して、2人くらいしか手を挙げないそうである。英会話なんて習う必要がないって言うのが金田一さんのご主張だ。でも、ご自身はイェール大とかコロンビア大に行ってたりして、杏林大の外国語学部教授なのだが。