どうもわからない仕事の一つが、オーケストラの指揮者。ここのところ、クラシック系の本はよく読むのだが、何かビシッとはまらない。それなりにリハーサルをして、曲の解釈を団員にしっかり伝えていれば、コンサートの本番にはいらない気がする。となると、スポーツと結びつけるのは乱暴だが、ラグビーの監督に近い気がしてくる。この中野雄「指揮者の役割 ヨーロッパ三大オーケストラ物語」には、公演中に停電となって、指揮者が目視できない状態で演奏を続けた楽団のエピソードが出てくる。そうなると、少なくとも本番はいなくてもいいじゃない。一方、そうなったら演奏は止めるという楽団もあるとのことだ。
指揮者って何するのって疑問から読み始めた本だが、正直、答が出たとは言い難い。しかしそのスタイルは千差万別。本の冒頭で「巨匠(マエストロ)」と呼ばれて生涯を全うできる資質として、「強烈な集団統率力」「継続的な学習能力」「巧みな経営能力」「天職と人生に対する執念」と中野さんは書いている。先月、テレビ番組「題名のない音楽会」でも指揮者を取り上げた回を見たが、演奏会だけでは団員を食べさせることはできないので集金力、音楽的には、すべてのパートの楽譜を頭に入れておく、曲の解釈などについての意思の伝達能力などは最低限必要なのだろう。「統率力」に関しては、経営者と一緒で指揮者かくあるべしというやり方は一つでない。
例えば、バーンスタインは演奏者に投げキッスをするなど、非常に愛想のよい人だったらしい。一方で、カラヤンは団員と食事することはまず皆無だった。スポーツの世界の監督もそうだが、そのスタイルや美意識は千差万別。それでいて、ウィーン・フィルあたりのレベルになると、構成している団員のレベルも高く、それぞれ一家言持っている連中で、発言力も強い。
著者の中野さんは、銀行員からケンウッドの役員になった人。アマ演奏家でもあり、CDやLP制作の音楽プロデューサーもこなした。知己の演奏家たちに話を聞いて組み立ているので、非常に俗的な気もするのだが、この俗さ加減が、クラシックに詳しくない自分には肩がこらず、逆にとっつきやすかった。
音楽には作曲家のルーツがあり、弦の持ち方もフランス式やドイツ式があり、イタリアの指揮者の下では音楽に色合いがでるなど、様々だ。名盤、名曲なども個人によって受け止め方が違うのは当然だろう。あまりよくわからないので、いわゆる紹介してくれる本などを読みながら、世間的な評価を気にしていたが、もっと自由でいいのだなという気持ちになった。ウィーン、ベルリンに次ぐ楽団として(筆者の評価だろうが)、オランダのコンセルトヘボーの存在を知ったのが、一番の収穫だ。