晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「寿町のひとびと」

 日本の3大ドヤ街の一つと呼ばれる、横浜の寿町。他に、東京の山谷や大阪の西成「あいりん地区」と並ぶ存在ということになっているが、身近な街だけに怖いという印象はもはやない(昔は多少あった)。とはいえ、知らないせいか山谷や西成と聞くと構えてしまう自分がいる。寿町に関しても「汚い」「怖い」と思っている人は多いと思うし、それが間違っているかと聞かれたら、やはり正しいとうなづいてしまうはずだ。

 もちろん、経済的に、健康的に芳しくない人が多く住みついていることは認識している。かつてのバイト先の近くでもある。寿町の銭湯・翁湯に行ったら、肉付きがいいのは自分だけだった。ランニングの際に突っ切っていくこともあるので雰囲気はわかる。

寿町のひとびと

寿町のひとびと

 

  数十年前になるが、新山下に住んでいた頃、南区あたりからタクシーに乗ると、運転手さんに寿町を避けていきたいと言われたことがあった。「当たり屋」が出る可能性があるので、嫌だという。渋々了承したが、いまになってみると、その運転手さんも周りに吹き込まれただけだったのかもしれない。その後、寿町は表向きが多少きれいになった。テレビがついてる部屋が増えたりして、当時は持っていなかった自分はちょっとした敗北感があったのを覚えている。

 しかし山田清機「寿町のひとびと」を読むと、自分では身近と思っていたが、それは単に地理的な意味だけであって、やはり「外野」からながめていただけだと深く思わされる。この本は、「ひとびと」と書いてある通り、寿町に携わった人たちに聞き書きしたノンフィクションだ。人によって章立てされているが、この街の歴史や抱えている問題もわかるようになっている。

 実は思ったよりも、歴史が浅い。米軍の接収が終わったあと(1955年)に、簡易宿泊施設が建設されて港湾労働者などが集まるようになった。宿の経営者は在日韓国人が多いという。自室に入るまでの外履きは、韓国人の風習によるものという話があるが、それはどうだろうか。もっと合理的な理由があるような気がするが。この本の中にも、年360日勤務の在日韓国人の「帳場さん」(宿泊所の管理人)の話がある。

 個人的に刺さったのは「共同保育」の話。家庭ではなく社会の中で、子どもを育てるという思想なのだろうか。数人の家庭が、自分の子どもたちをある場所に集めてそこで生活させ、親がそこに通うスタイルで子どもを育てるという方式があったそうだ。親と書いたが、父、母とは呼ばせずに「~さん」と呼ばせる。共同保育に賛同した親たちがローテーションで面倒を見て、おカネも「あるものが出す」というスタイルだったという。寿町にはいわゆる活動家のような人たちもたくさん入り込んだようで、そのようなことが実践されたというのは驚きだった。結局は上手く行かなかったようだが、親としてそのように育った子に話を聞きたい気持ちになった。

 他にもエピソードがあるので、詳しくは読んでいただくほかないが、ここで交番勤務をしていて、刑事になった人の話は面白かった。ドヤ街は犯罪者が逃げ込む場所でもある。ここで地の利を得た刑事は、年に120人も捕まえて、キャリア合計1250人も逮捕したそうだ。ほとんど「釣り堀」状態だったそうである。面白がってはいけないのかもしれないが…。

 横浜市は寿町をどうしたいと思っているのだろう。元町や中華街、伊勢佐木町に近いし、ここをつぶして開発したいという狙いはあるのかもしれない。これからもランニング時に通ることは結構あるだろう。本に出てきた角打ちなどの位置を確かめつつ、この街を見守っていきたいなと思う。そういえば、ソウルフラワーユニオンが出た時に、フリーコンサートに行けばよかったと今更ながら思う。次は行ってみよう。