晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「同調圧力」

 「自粛警察」「正義中毒」やら新型コロナウイルスの影響で生まれてきたり、よく耳にするようになったりする言葉が増えた。でも周りになんか監視されているような風潮は、いまに始まったわけじゃない。程度の違いはあれ、戦時もそうだったろうし、東日本大震災の時だってあったような気がする。

 ランニングの区切りがいいところに、ちょうどブックオフがあったので、のぞいたらこの本があった。演出家・鴻上尚史さんと評論家・佐藤直樹さんの対談。副題にあるとおり、「日本社会はなぜ息苦しいのか」について対話している。「みんな同じ」という見えない命令によって縛られているような感覚。読んでみると、キーワードはどうやら「世間」のようである。

  日本には、「社会」と「個人」の間に「世間」があるという。欧米にはピタッと来る概念がなく、手元の和英辞書には、world とか society とか people としか載っていない。なかなかピンとこない。確かに世間と言うのは、体感しているが言葉にするのは難しい。佐藤さんに言わせると、「日本人が集団になった時に発生する力学」だという。世間に縛られて「本音」と「建前」が生じたと語る。

 世間が、忖度や同調圧力を生み出すこともあるが、海外メディアが絶賛する災害時の秩序を生み出したりもする。後者の面がスポットが当たると、どこかの政治家が言うように「民度が高い」ととられる場合もある。

 続けるが、佐藤さんは世間を構成するルールは四つあると主張する。まず「お返しのルール」。これがLINEの「既読無視」を問題視することにつながるとしている。次に「身分制のルール」で、年上・年下、格上・格下などで力関係が決まることだそうだ。3番目は「人間平等のルール」。平等はいいのだが、「違う人にならないで」という同調圧力が生じるそうで、これが妬みの元。異端を排除し、個人が確立されづらくなるという。最後に「呪術性のルール」。これがピンとこないのだが、例えば、法で定められているわけでもないのに、友引の日に葬式をやらないとか、大安の日に結婚式を合わせるといったところだそうである。

 個人的には、3番目とSNSが相性が悪いというか、匿名性もあって同調圧力を増長させる原因になっていると感じた。SNSの匿名の割合は、他国に比べると日本人が高いそうである。全体的な本のトーンとしては、日本人は「個人」が弱いということ。

 面白いというか、へーと思ったのが、「じゃんけん」のエピソード。佐藤さんに言わせると、これは一種の神まかせで4番目の「呪術性」にあたるそうだ。自分は公平性を担保するものだと思っていたが…。鴻上さんも英国の演劇学校で嫌がる課題の順番を決めるのに、「日本人の知恵」としてじゃんけんをすすめたことがあったそうだが、「大事なことを偶然にまかせるのか」と反発があったとか。考えさせられるなあ。