晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「コロナ後の世界を生きる」

 昨年の7月に出た「コロナ後の世界を生きる 私たちの提言」を今頃読んだ。識者や外国に定住している作家、学者たちに昨年の5月、6月までの現状を踏まえて今後を見通してもらおうという企画だったようだ。37.5度が4日続いてから保健所に連絡するとか、日本人の民度が高いとか、いまや昔話のように感じ取れる話題もあるが、パンデミックに対する姿勢という意味では普遍性があり、まだ読み物としても耐えうる。

  昨年の今頃だと、コロナに対する警戒感がより強かったような気がする。当時は外出の後は着ていた服をすべて洗濯機に入れて、シャワーを浴びるように言われていた(今は出社時のみ)。原発施設に立ち入った後のような対応である。買い物してきた物やアマゾンなどで届けられた物はすべて拭いて(消毒して)、家の中に入れていた。現在、そんなピリピリしていない。というか、緊張感、警戒感にも多少スタミナらしきものがあるのだろう。でも、手洗い、うがいが完全に習慣化してしまって、無意識にやった後、また繰り返しやっているところを家族に指摘されるレベルに達してしまった。こんな人が多いのではないだろうか。それでいて感染すると、自責の念に駆られるんだろうな。

 本では、スペイン風邪の例を出す人が多い。いろんな分野の人に書いてもらっているので、コロナ対策やウィルス対策はもちろん、今後の国との距離感やリーダー論をかざす人もいる。リーダー論だと、どうも比較の対象は独メルケル首相になる。正直、説得力というか、メッセージの強さとなると、安倍さんや菅さんは相手にならない気がする。これはしょうがないか。文化の違いもあれば、能力の違いもある。

 岩波がそろえた筆者陣なので(?)、政府に一言申し上げたいという感じ人が多い気がする。コロナ後で、生活が変わるという人もいれば、変わらないという人もいる。いちいち書いても、散漫な意見の羅列に終わってしまうので、印象に残ったフレーズを一つ紹介する。ドイツ在住の多和田葉子さんの締めの言葉である。

コロナウイルスは常に姿を変えながら国境を越えて広がっていく。現実のウイルスは恐ろしいが、メタファーとしてのウイルスは尊敬に値する。人間の言語や思想も、ウイルスに負けないくらい自分を変えていけるくらい能力を持ち、国境を越えることができなければ、パンデミックを乗り越えることはできないのではないかと思う。