晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「大岡信 架橋する詩人」

 詩作をするほどではないが、詩をよむのは好きな方だ。谷川俊太郎田村隆一茨木のり子西脇順三郎鮎川信夫に、最近ハマった草野心平などなど。これらの詩人の名を聞くと、代表作のタイトルや詩の一片くらいは浮かんでくる。ところが、大岡信となると、彼のコラムの「折々のうた」が頭に浮かぶだけで、彼の作品や詩を知らないことに気づく。作品を読んだのは評論やアンソロジーだけだ。

 岩波新書で「大岡信 架橋する詩人」という彼の評伝が出ていたので、買ってみた。著者の大井浩一さんは毎日新聞編集委員だそうだ。大学を出て、読売新聞に入社した大岡信さんが、その後、朝日新聞で「折々のうた」を連載して、没後、毎日新聞の記者が評伝を書く――。そもそも毎日新聞の連載がもとになっている。

  大岡さんは、静岡県三島市出身。中学で同人雑誌を立ち上げて、短歌や詩を発表していた。父・博さんは歌人・小学校教員で、三島市の市歌(創作当時は町歌)を作詞した人だという。父の影響は大きかったはずだ。高校でフランスの詩に接していた大岡さんは東大でも仏文科に進むはずが、試験方式の変更に気づかず、国文科に進む。ある大学の同人誌仲間は、国文科に進んだことが彼ののちの仕事に「幅」を与えたと回顧する。しかし登場する人たちには新聞社の要職まで務めた人が多い。当時は割と花形の職業だったのだろう。

 シュルレアリスム研究会を立ち上げたり、渡仏したり、美術作品とコラボしたりと意欲的に活動。詩誌や雑誌を創刊したりもしている。詩集もいくつかだしているが、1979年に朝日新聞で「折々のうた」を始める。自分が新聞を個人で購読するようになったのが、この3年後あたり(高校卒業後)。朝日新聞だったので、天声人語とともによく目にしていた。だから、詩人よりも、評者のようなイメージが強いのだろう。第1回は高村光太郎の短歌だったが、当時は1面ではなく最終面だったそうである。それを1面に移したのが、のちに社長になる中江利忠編集局長だったという。ちなみに彼も高校、大学で大岡さんの同期だった。

 「折々のうた」のイメージが強いが、連句連詩など実に多様な活動をしていた。今となっては、岩波文庫「自選 大岡信詩集」が一番手に入れやすい詩集のようだが、積読のどこかに埋もれている。探し出して、じっくり向き合ってみる必要があるなと気づかされた。大岡信のガイドブックとして、しばらくはお付き合いするつもり。