晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「ナショナリズムを陶冶する ドイツから日本への問い」

 本来はニュートラルな意味なはずの「ナショナリズム」だが、近年は「偏狭な」などの枕詞を伴ってネガティブな場面で使われることが多くなってきたように思われる。排外的な輩たちの主張が目立ってきたせいでもあるのだろう。そもそもはナチズムの根源のようにみなされている面もある。朝日新聞記者である筆者・藤田直央(なおたか)さんの定義は、「(国民が「わが国」をつくる主人公となった近代以降の国民国家において)国民がまとまろうとする気持ちや動き」だそうである。

  日本と似た近現代史を歩んだドイツに範を求めるというのはよくあるパターン。ドイツにだって、旧東西の温度差や新興右翼の台頭がある。筆者は、1930年代にナチスが党大会を開いていたニュルンベルク強制収容所があったダッハウ、壁があったベルリンなどを訪ねる。

 戦争の経過をみると、日独は似ているとは思う。しかしナチスは国内外から「絶対悪」とみなされているが、日本軍の加害責任は、少なくとも国内ではそこまで語られることはない。21世紀に入ってからは特にそうだ。過去の反省をもとに健全なナショナリズムに導く形を求めるにしても、折り返し地点があったドイツと、折り返したのか、それとも折り返していないのかもわからない日本とでは比較しようがないのではと思った。

 「ゲーテやバッハがアウシュビッツを隠すことも、アウシュビッツゲーテやバッハを隠すこともできない」。筆者が取材した人の言葉だが、まさしく過去に起きたことは受け止めるほかない。ドイツは過去を、記憶を受け止める土壌ができているってことだろうし、逆に言えば、ホロコーストがそれだけのことだったとも言える。

 本筋とは違うところで紹介されたエピソードが興味深い。強制収容所の解放には、米国の日系人部隊がかかわっていたという。現地の史料館の展示にはその名前が見当たらないが、解放には米第522大隊の第422連隊戦闘部隊が関与していたことが明らかだという。この422連隊は米国のリロケーションセンター(強制収容所の遠回しの表現)から志願した日系人で構成されていた。「スパイ活動の防止」などを理由に収容された日系人が、偏見を破ろうと軍に志願した先で、ユダヤ人を救った。どのような気持ちだったろうか。