晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「遊郭と日本人」

 薄い本だが、盛りだくさんの内容だった。落語などを通じて江戸風俗に興味があるものにとってはたまらない一冊で、とても勉強になった。もちろん、著者の田中優子さんが書いているのように、「遊郭は二度とこの世に出現すべきでない」場であることを踏まえた上でだ。

 江戸の吉原遊郭を中心に取り上げている。日本の遊郭は1585年から1958年までと長い歴史があり、自分が生まれる前あたりまでは続いていたことになる。江戸時代の遊郭は文化の中心だった。これは落語を聴いていても想像がつくし、この本を読むとより広い意味で文化の集積地だったと気づかされる。和歌、三味線、唄、琴、茶の湯、香などや、いろいろ書くと面倒なので横文字にしちゃうと、ファッションやグルメやイベントの中心だった。

 これが大正・昭和になってくると、いわゆる芸の部分は芸者が引き継ぐ形になり、吉原は「性」の部分が残るようになったとのことだ。ずいぶんと昔に、「売春の社会史」を読んだことがあるが、ギリシャ時代の売春婦(ヘタイラ)も非常に教養が豊かだった描かれていたとの記憶がある。東西を問はず、性の他、文化・教養の共有を果たす場所であったことは興味深い。

 「好色」。新明解国語辞典(八版)では「相手に強い欲望や関心を持ち、常に情事の機会を求めている様子だ」と書かれている(最後の「だ」が気になるが)。井原西鶴の時代の「好色」の「色」は、もっと文化的意味も含んでいたとのことだ。

 吉原などの廓がどのような所だったを知っている人が多いので書く気はないが、遊女の人権が問われた「マリア・ルス号事件」について知ったので、備忘録代わりに触れておきたい。

 1872年、ペルー船籍のマリア・ルス号が悪天候で帆先を破損して、横浜港に一時寄港した。乗船していた中国人苦力一人が過酷な労働を苦に海へ飛び込み英国の軍艦に助けを求め、このマリア・ルス号は奴隷運搬船と判断された。英国代理公使は日本へ中国人の救助を要請し、この船は出港停止となった。そして裁判沙汰に。結果的に苦力は清国に帰国することで、この船は出港許可が与えられることになるだが、事はこれで済まなかった。

 船側に雇われた弁護士が、日本の遊女も十分に「奴隷」だと、こちらも人権問題と主張。明治政府の対応は素早く、「芸娼妓解放令」を出して対応したという話だ。もちろん、これは単なる外交手段で実態は変わらなかったものの、お上が管理する「近代公娼制度」につながることになったそうだ。

 すべては書ききれないが、結構刺激を受けた本。「明烏」などの落語もかなりイメージできるようになったつもりだ。