古い本である。刊行は1989年。著者の中村保男さんは10年以上も前に亡くなっている。古本屋で見つけて、ついつい買ってしまった本だ。なんせ、Time flies like an arrow を電算機が「時間蠅は矢を好む」と訳したなんて書いてある。現在、便利な自動翻訳ソフトで知られる DeepL は、「時間は矢のように飛んでいく」と訳し、候補として「時は矢のごとし」という訳を提示してきた。初めて使ってみたが、なかなかの腕前である。便利になったなあ。
時代は違っても、翻訳が悩ましいのは変わらない。著者は、コリン・ウィルソン「アウトサイダー」などで有名。「英和翻訳表現辞典」はいまでも大きな書店なら置いてある。明らかな誤訳はあるが、究極の正しい訳というのは存在するのか。翻訳者がいれば、その数だけ翻訳があるはず。答えがあるかどうかはわからないが、やはり、できるだけ「正しい訳」を目指して切磋琢磨するほかない。昔と違って、作家によっては翻訳者の疑問に応じてくれる人もいるそうだ。作家の意図という意味では、今の方が外国の読者にも伝わりやすい環境にあるのは間違いない。
しかしながら、原文から練りだす翻訳文となるとそうはいかないだろう。作家自体がバイリンガルなら多少それらしいものができなくもないが、当該言語の語学力は、翻訳者の方が上というケースが圧倒的に多い。村上春樹さんだって、信頼をおいた翻訳者に頼んだ以上は、翻訳者の「声」を尊重していて、ニュアンスのずれなどを「別の作品」として楽しんでいるようにも見える。
この本の出た当時とは、日本の翻訳事情は違ってきていて、近年、質は高くなってきていると思うが、シェークスピアの坪内逍遥訳と福田恒存訳の比較は面白かった。今なら、これに松岡和子訳が加わるのだろうか。
著者が書くように日本人は、原文尊重の精神が強く、言語や文化の差を埋めるもどかしい作業に正面から挑む傾向にあるような気がしている。翻訳云々の類書はいまでも出ているが、カズオ・イシグロが新人作家のように扱われているなど、なつかしい本だった。たぶん昔読んでいると思うのだけど、新鮮な気持ちで読めた。