晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「暗黒日記 1942ー1945」

 ここ数年、戦争を体験している人たちが「戦時中と雰囲気が似てきた」と口にすることが多くなったように思える。とはいえ直接聞いたわけではなく、メディアを通してなのだが。戦争中の話を多少は親を通じて聞けた世代だが、こちらも子どもだったので、「大変だった」「食べるものがなかった」レベルにとどまっていた。いまならこちらも込み入った話ができるのだが、すると親の方が亡くなったり記憶が怪しくなったりと、直に聞ける人がほぼ皆無となった。

 清沢洌「暗黒日記」。これまた古本屋で目に入った本だ。彼は外交評論家で、そもそもこの日記は、将来日本現代史を書くために備忘録として書きとどめておいたものだそうだ。米国から帰国し、30歳で中外商業新報社外報部長として働き、朝鮮・中国・満州・シベリア特派員を経て、朝日新聞に移る。しかし、著書が右翼から批判を浴び、辞任。その後は、フリーランスの外交評論家になった。語学力を生かし、欧米事情に強い。独伊との同盟よりは、対米協調を唱えたとされる。

 ちなみに読んだのは、山本夏彦編の岩波文庫版。米国との開戦から1年たった1942年12月9日から始まっている。当時から、日本でもゴルフはあったようだが、1943年には「打球」と呼ぶことになった。このように外来スポーツの日本語表記を「小児病的な現代思想」と揶揄している。この時期、英字紙「ジャパンタイムズ」も「ニッポンタイムズ」と名前を変えている。

 日本の新聞は「戦果」ばかりを報じていたが、彼は海外の報道にも目を通し、状況は比較的正しく把握していたようだ。1944年9月1日の関東大震災の記念日には、鶴見に詣りに行くが、墓場の鉄柵や銅像などはすべて「徴用」されている。橋に袂がなく、窓には金具がない。この時期になると、食べ物がなく、人に顔を会わせるたびに「やせた」と言われる。食べられないと士気は上がらない。当然だろう。

 先に降伏したイタリアを「裏切り」「背信者」「卑怯者」と批判する日本の新聞。イタリアだって力尽きて屈服したのだ。当時のメディアにこのような視点がないことを、国際情勢がわかっていないと批判する。

 細々としたこと書いていくとキリがないが、多少ながら当時の雰囲気がつかめた気がする。いまはテレビも加わっているが、どうもメディアは当時とあまり変わっていないようだ。コロナ禍も平時ではないという意味で、政治家のレベルを見るいいチャンスのような気がしてきた。こちらの方は、当時と比べるとどうだろうか。