晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「ゴリラの森、言葉の海」

 霊長類学者の山極寿一さんと作家・小川洋子さんのゴリラを巡る対談集。小川さんはこれまで、藤原正彦さんや河合隼雄さんあたりとも対談集と出していて、話の引き出し方などは非常に上手だ。山極さんはゴリラ研究の第一人者で、京都大学総長を務めた。ゴリラに関する話だが、やはり人間という存在を映し出す本になっている。

 人間とゴリラのゲノム(遺伝子の組み合わせ)を比較すると、1.75パーセントしか違わないという。チンパンジーが1.37パーセント、オランウータンが3パーセント以下。これらは霊長類でも同じヒト科に属する。逆に、サルと呼ばれる系統とゴリラは6パーセント以上も違うという。

 ゴリラが顔をのぞき込むしぐさは、ケンカの仲裁などで行われるという。ケンカをしている二頭の間に割って入り、お互いの顔を見つめる。いわば、目を見るだけで暴力を収めるという。乳離れをすると、今度は父親が子育てを引き受けて、身をもって(言語がないので当たり前だが)仲裁を教え込むという。山極さんによると、オスはできるだけケンカを避けようとするのだという。ヒトよりも上等な気がする。

 ゴリラに年子がいないとか、同性愛とか、ゴリラの子殺しとか、新しく知ることになった部分も多いのだが、ゴリラという「鏡」を通して、改めて人間という存在を知る部分も多い。人間の祖先は食物採集を分担して行った。つまり、子どもや妊娠した女性を安全な場所に置いて、男性などが食物を運ぶ。それが直立二足歩行を促進させる。そして、二足歩行が脳を大きくする。しかし二足歩行で産道がせまくなり、大きな頭の子どもは産めない。となると、頭の小さい状態で産まれ、それから頭が大きくなるようになった。ちなみに人間は3キロ前後で生まれることが多いが、ゴリラは平均で1.8キロだという。

 人間は言葉を得た。書き言葉は残り、時を超える。だからこそ小説など読書を楽しめるわけだが、イマジネーションを広げる一方で、文字になると視覚的な環境を残して固定化してしまい、広がる範囲に際限がなくなる。それがツイッターなどの炎上にもつながる。会話では聞き流せてしまうことが、言葉が残ってしまい、場合によっては、余計な解釈が加わってしまう。もしかしたら、今ほど言葉に振り回されている時代はないのかもしれない。

 山極さんと小川さんとの最後の対談の場は、屋久島だった。随分前だが、旅行の予定があったのを思い出した。同行する側の都合で流れた記憶があるが、今になってまた悔しくなってきた。