「親ガチャ」なんて言葉が聞かれるようだが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の「出身成分」は「親ガチャ」の極端な形の表れのように思える。すこし外れるが、正式名称で国名を書いてみると、国名と実情が乖離している気がして笑ってしまう。だからって、国名に「独裁」なんて入れるわけにもいくまい。
北朝鮮では、人民(と言うべきか。国民でもいいだろう)が「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」と大きく三つで構成されているそうだ。「核心」は上級層で国として「信頼できる」連中だが、その中でもヒエラルキーはあるのだろう。主人公ヨンイルは、かろうじて「核心階層」に残っている保安署員だ。捜査をしているので、日本でいう警察官か刑事なのだろう。平壌に住めるのは「核心階層」のみという話だ。
「動揺」はいわばどちらにも転びうる連中とみなされた人たち。「敵対」は仏教徒やキリスト教徒、犯罪者たちなどと、国の理念と合わない人や反社会とみなされた人たちで構成されるらしい(信仰がある人と犯罪者は相当違うだろうけど)。この層に入ると、犯罪者はそれ相応の場所で過酷な労働などが課せられるが、仏教徒などにはろくな仕事が与えられないらしい。「動揺」と「敵対」などと階層をこえた結婚はご法度となる。
ヨンイルは11年前の殺人・強姦事件の再捜査を命じられるが、当時の捜査資料はずさんでたちまち行き詰まる。医師だったヨンイルの父も政治家の暗殺容疑で管理所に収容されていた。ただ殺人が認定されたわけではないので、ヨンイルの「格落ち」はなんとか免れて、下っ端の「刑事」としてぶら下がっている。父が犯罪者になると、二親等まで二段階落ちることになるそうだ。ヨンイルはもちろん、妻や娘も「敵対階層」になってしまう。
再捜査の案件には、父が起こした事件にも関わりがありそうだ(そうでなきゃ、面白くない)。指紋やDNA検査にはまだ時間がかかるし、そもそも手間や金がかかることはしたがらない。それ以前に、自白が一番の証拠。昔の日本のように、殴る蹴るで自白に追い込むことがまだまだ普通に行われているようだ。
落ち着いたと思ったところで、また話がひっくり返る。ここらは「ミッキーマウスの憂鬱」を書いた松岡圭祐さんに揺さぶられた。なかなか上手である。北朝鮮のずさんさを逆にストーリーに生かしているのかもしれない。
著者は脱北者から聞き取りをしてこの小説を書いたようだ。実際に、日本にも脱北者はいる。数年前に200人くらいだった気がする。配偶者とともに「帰国」した日本人妻など、日本に地縁がある人は受け入れているようである。松岡さんの主義主張は存じないが、「決して対岸の火事」じゃないぞと警告しているようにもとれる。「社会派ミステリ」と書いてあるが、近未来を予言したSFのようにも感じる。21世紀の「1984年」か。