晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「ことばの果実」

 長田弘さんがマイブーム(死語?)である。読書や言葉に関する詩やエッセイが多い人だが、語りかけてくるのような平易な言葉の積み重ねて、心の隙間を埋めてくれる。大きな心の穴というよりは、日々の生活で生じたちょっとした隙間に入り込んでくるのだ。「ことばの果実」は潮文庫から。カバーがまぶしくてみずみずしい。

 内容は「ことばの果実」と「ことばの花実」と大きく二分されている。前者は、名の通り、主にフルーツをテーマにしたエッセイで、後者の部分は、オリーブや胡椒、辛み大根に納豆と食材になる花の実をテーマにしている。とはいえ、内容は「食」の話である。

 苺を一粒、左手の親指と中指で逆さに挿んで、黙ってじっと苺を見つめていた。(苺)

 過去に自分も同じようなことをやっていたよう気がしてドキッとする。いやいや、大きさとか甘さのみを気にかけて、「黙って」というよりは無心でほおばっていた気もするが。

 明るい日。スーパーマーケットの果物のコーナーいっぱいに、日の光を指先で掬ってまるめたような、やわらかな橙色の甘夏が無造作に、外の光の塊を積むように積みかさねられると…(甘夏)

 甘夏と光か。こう書かれると二卵性双生児のような気がしてくるから不思議である。「日の光を指先で掬う」なんて考えたこともなかった。ここを読んだだけで、なんか得した気分になる。

 トマトはトマトにすぎない。日本語でも英語でも、ドイツ語でもフランス語でも。ところが、トマトを料理のいのちとするイタリアでは、トマトはトマトでないのだった。ポモドーロ(「黄金の果実」がもともとの意味らしい)なのだった。(トマト)

 この後、「人生をゆたかにするものは何だろうという、(中略)しっかりと、緑のへたのうつくしい、完熟したトマトだ」でこの項が終わる。本を外に連れ出して、こちらも日にあたりながら読むべきと思わされた。長田弘さんが紡ぐことばも、表紙以上にみずみずしい。