晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「英文法を哲学する」

 何やら難しそうだが、佐藤良明さんの本なので読んでみた。佐藤さんと言えば、その昔に東大教養学部の英語テキストの開発に尽力した人。その「The Universe of English」は東大とは全く縁のない自分も購入した。そして、音楽ファンにとっては、ボブ・ディランの詩の訳者でもあり、放送大学ではビートルズを題材とした授業をしている人でもある。洋楽好きには英語好きが多いというが(その逆もあるだろうけど)、そのような輩(自分も含め)にはあこがれの人でもある。

 佐藤さん、現状の英語教育にえらくご不満のようで、日本の英語教育を変えたいという一心で書いたそうである。とにかく、英語は英語らしく教える(もしくは、習う)必要があると提言している。「日本語を脱げ」と言っている。

 「日本語を脱ぐ」とは、英語を英語として考えるというか、英語の特徴を意識して学べと言う事だろうが、これが簡単じゃない。空手のように、「英語の型」を身につけろと書いてあるが、無意識でも英語の型になるように鍛錬しろと言う事だろう。

 佐藤節というか、少しわかりづらい文体で書かれているが(ハマるとわかってくる)、まずは英語の特徴を理解しろということ。英語は、何というか日本語と比べると、直球系というか、事実をズバリいう感じである。逆に言えば、日本語の直説法というのは、英語ほど強い事実の響きを持たない。しかし、英語が直情型のみだと、それはそれでとげとげしくなるので、仮定法(佐藤さんは、「仮想法」と言っている)があるという。

 英語の時制は、現在と過去だけだそうだ。確かに英語の動詞の変化に未来はない。我々が未来形としてならってきた will は未来を語っているようだけれども、現在での推量を語っているのだという。うーん、なるほど。しかしまだ、子どもにそんなことを言っても混乱するだけだろうな。そもそもは英国の学生がラテン語を学ぶときに、未来形があるラテン語に対して will を使って未来形としようとしたところに始まりがあるようである。

 このほかにも、いろいろな「発見」を与えてくれる。要は、日本語と英語はまったく別な言語ということをわかりなさいということ。いろんな文法用語を使って「寄せて」いっても、それは本質的じゃないということなのだろう。なかなか、概念的な内容なのでとっつきづらいのがマイナスポイントだが、腑に落ちる部分が結構あった。