晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「るきさん」

 「読書会という幸福」を読み、高野文子「黄色い本」を買い、その勢いってわけじゃないが、ちくま文庫るきさん」を読んだ。主人公が「チボー家の人々」を読み進める様子を描いた「黄色い本」はなかなかショッキングというか、漫画でこんな表現の仕方があったのかと感嘆してしまったためだ。

 「るきさん」は社会人になったころに創刊された「Hanako」に連載されていた。いわゆるバブルが実質始まっているような時期で、この雑誌に取り上げられたスポットに人が殺到するという現象があちこちで見られた。女性がターゲットの雑誌だったこともあり、購入した記憶はないが、特集でどこが取り上げられたかということには気をかけていた気がする。

 ウィキペディアを読むと、高野さん自身があまり「るきさん」が好きでなかったと思わせる記述がある。るきさんはバブル期の30代独身女性。お友達のえつこさんが、いわゆるバブルの波に乗っているような女性で、るきさんは世間の喧騒から(意識的ではなく自然と)距離を置いているように描かれている。時代へのアンチテーゼともとれるが、「アンチ」と構えるような力みもないように見える。

 社会人生活が始まったころの作品を、サラリーマン生活の最終章に読む感慨深さはあった。えつこさんを見ていると、「そうそう、こんな感じだった」とうなづいている自分がいる。同僚でやたらと「るきさん」を楽しみにしている人がいたなあ。もう亡くなっちゃけど。

 「Hanako」はマガジンハウス社発行。当時は、会社が比較的近くにあって、一階に世界の雑誌を置いていて、外部の人間も読めるようになっていた。随分おしゃれだなと思う反面、ガラスには労働組合のチラシのようなものがベタベタと貼ってあって、物騒な雰囲気がある時も。受付嬢などはおかずに入口近くの内線表でダイレクトに呼び出すようになっていた(記憶がある)。

 高野文子さんは縁遠いように思っていたが、「ドミトリーともきんす」は好きな漫画だし、北村薫さんの東京創元社刊の文庫には高野さんのイラストが入っている。結構、身近だったのかも。他の作品も読んでみよう。幸い、寡作な方で作品数はそう多くない。