晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「ここにないもの 新哲学対話」

 せかせかと忙しい日々を過ごしていたのに、急に時間が止まったようになってしまった。コロナウイルスに感染してしまったのである。ルートはわからない。感染対策としてやることはやっていたつもりだけど、どこか詰めが甘かったのかもしれない。幸い、1日ほど発熱があっただけで、検査当日も含めはほぼ無症状。不幸中の幸いと結論付けるのは早すぎるかもしれないが、少なくとも経過は良好と見ている。

 軽症なので、療養中に自宅で仕事はしている。(間食や散歩など)余計なことをしない分、密度の濃い仕事をしているのだろう。仕事の合間に、中公文庫の希少本フェアで買った、野矢茂樹「ここにないもの」を少しずつ読み進めた。エプシロンとミュー(ともに登場人物)による現代版対話篇と言ったところか。「人生」や「死」、「言葉で言い表せないもの」などを語る。

「……自分の考えの中だけで、いっぺんに意味づけを求めても、ただ無意味に突きあたるってだけ……」

 といった言葉が出てくる。人生の意味って、人生そのものじゃなくて、何かしらの「効果」(成功とか失敗とか)によって判断されたりするのだろうか。正直、答えや出口が簡単に見つかるものでもないし、各章ともなんかもやもやした感じで終わるのだが、でも、もやもやの中に頭を突っ込んでいかないと、人生って面白くない気がする。それについて考えるのが、意味があるか、無意味なものなのかはやっぱりわからないけど。

 コロナになったのは、自分の不注意の部分があるのだろうけど、過度に自分を責める気にもなれない。でも、家族に面倒をかけているのは確か。濃厚接触者の隔離期間が終わった時は嬉しそうだったなあ。それを見たら、申し訳ない気持ちになった。こういう時って、大勢で飲食したとか、むしろ原因がわかりやすい方が気が楽だったんじゃないかと思ったりもした。取るべき態度もはっきりするし。

 元気な分だけいろいろ考えるのかもしれない。療養期間をなんか意味のあるものにしたいとする妙な気持ちもある。いろいろと読むはずだったのに(特に小説の大作)、こんなほんわかした本を読んでしまった。でも、人生という階段のちょっと踊り場で読むには、ちょうど良かったのかもしれない。植田真さんのイラストがすごくいいし。また、ひょんなことで読む機会がくるかもしれない(2度目、3度目はやっぱりごめんだが)。これは売らずに本棚に戻しておこう。