晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「覇王の譜」

 将棋ファンにはたまらない一冊ではないか。プロ将棋のバックステージツアーに連れて行ってもらったような気分になっている。これまでの将棋小説にもずいぶん楽しませてもらったが、細部の詰め方が違う。これまでも棋士への道の厳しさや局面での心理状態は描かれていたが、深みが違うというべきか。それもそのはず、著者の橋本長道さんは元奨励会の会員。プロ棋士を目指していたと思われる。

 野球だろうがサッカーだろうが、プロの世界は「天才」や「神童」の集団といってもいい。将棋の世界だって「天才」たちが集まり、しのぎを削っている。主人公の直江大もそうだった。18歳でプロにはなったものの、7年間もC級2組止まり。子どもの時は格下だった同い年の剛力はタイトルを手中に収め、棋界を代表する棋士に成長している。話は、伸び悩む直江の1組昇級をかけた対局から始まる。

 殻を破れない直江。連盟内政治にも目を向ける剛力は、直江に理事になれと諭す。つまりは一流の棋士になるのをあきらめて、剛力の意を酌んだ組織作りに協力しろということだ。剛力はトップ棋士に成長する一方で、連盟内政治にも目配せが利いている。

 この小説、現状の棋界の話題がふんだんに盛り込まれている。AI、女流棋士事情、天才少年の出現、棋界の大口スポンサーである新聞社の落日と新スポンサーなど、フィクションとはいえ現実と重なるようなトピックがこれでもかと詰めこまれている。著者である橋本さんは、この小説で一旦将棋ネタを封じるつもりなのでは、と勘繰りたくなるほどである。

 旧友である剛力、師匠の師村、どことなく垢ぬけた羽生さんを思わせる北神、新たな天才少年・高遠など、魅力的なキャラクターがそろう。むしろ主人公である直江の描かれて方が弱いような気がしている。まあ、あまり面白かったので、少しケチをつけたくなった部分でもある。新たな出会いによって、少しずつ殻を破りつつある直江と、ドラえもんでいうとジャイアン的にも思える剛力との盤上・盤外での戦いは、これまでの将棋小説にはない緻密さと、経験者でないと知りえない感情の動きがある。

 解説の西上心太さんが書いた、近年の将棋小説のリストから文庫化されているのを探し出し読んでみるつもり(「盤上のアルファ」「盤上の向日葵」は既読)。将棋と活字は相性がいいと確信した。