晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「英語教育論争史」

 仕事を英語で使う日本人は全体のおよそ1、2パーセントだそうである。ならば、中学・高校で必須科目にしなくてもいいじゃん、将来使う人は限られているのだから。ましてや、わざわざ小学校から学ばなくたって…。

 こうした議論は100年以上も前から行われていた。江利川春雄さんの本によると、明治時代には小学校に英語が導入されていた。当時の小学校なので、今とは単純に比べることはできないが、身に着けるのなら早いうちにという考え方は現在も当時も変わらないようだ。

 小学校英語は廃止され、約100年後に復活することになるのだが、昔から英語不要論が持ち上がったり、強化策が浮上したりと忙しかったらしい。時には、中国語の方が重要じゃないかという論がでたり……。大正時代には、中高においても英語は選択制でいいだろうという論もあったそうだ。当時なら、今以上に英語を使う機会はなかったであろう。例えば「卒業後は農家である家に入るから」といった理由で、英語の学習に必要性を感じない人も多数いたそうである。海外の例や知識を拝借する発想なんてなかったろうから当然といえば当然である。

 日本の「国力」と反比例して、英語学習熱が上ったそうだ。その例のひとつが、敗戦直後の「カムカム英語」。占領下におかれたが、全体として日本人が米国に親近感を覚えたこともあるのだろう(米国がそのような政策を行ったわけだが)、米会話ブームがやってくる。その一端を担ったのが「カムカム」の平川唯一である。平川は本格的に英語を教えた経験はなく、自身が身に着けたような方法を使ってラジオ英語会話を担当したわけだが、これが当たった。しかし、このナチュラルメソッドともいわれる方式は、入門期の指導法としては効果があるが、中高生以上のように理屈で考えるように向きには適していないという批判にあう。

 有名どころでは、渡部昇一教授と参議院議員平泉渉との論争である。平泉議員は、高校で英語は選択制にして、大学入試では英語試験を課さないという試案を出した。しかし、5パーセントの日本人が英語を話せれば良いとした部分が誤解を招く。平泉議員は「5パーセントの日本人ができれば十分」という意味で選択した者には集中して学ばせるという話だったが、これが一種のエリート主義のようにとられて、渡部教授などの反発を受けた。雑誌「諸君!」の煽り方も上手かったと思えるが、これが大きな論争になった。1975年のこの論争は、当時小学生の自分に関心があったはずはないが、時折目にしていたこともあって、これは結構覚えている。

 本を読んで思ったのは、昔の人はかなり真面目に英語教育の要不要を論じていたという事。これに比べると、英語教育が「産業」になってしまったせいか、近年の英語教育論争(混乱と呼ぶべきか)はどうも利益誘導型になってきているような気がする。しかし、日本人って英語が好きなんだなあ。