ほぼ一気に読まされたところだ。この「もう終わりにしよう。」は刊行のタイミングで購入しているのだが、2年ほど積読してしまった。本棚の整理をしているときに見つけて、出だしをパラパラ読んでたら、手から離れなくなった。
イアン・リードというカナダ人作家の小説デビュー作らしいが、読み手のツボを押さえている。坂本あおいさんによる「訳者あとがき」にも書いてあったが、作家本人は読者に映画を見るように一気に読んでほしいそうである。読んで納得。確かに、そのように仕向けている作品である。
「わたし」はジェイクの実家に向かっているところだ。「わたし」はタイトルの通り、「もう終わりにしようと思っている」。「訳者あとがき」にも書いてあるが、読み手の頭に浮かぶのは、交際関係の清算というところだろう。
小説は「わたし」のモノローグ調である。「わたし」の目線で二人の出会いや、辺鄙な農場である実家への道のりが語られていく。そして、そこにインサートされるような形で、どうやら「事後」であろう会話のやりとりが挟まれる。この会話のやりとりは誰によるものなのかはわからない。そして、「わたし」の携帯電話にはしきりに着信があり、謎の男から意味不明のメッセージが残されたり、何のメッセージもなかったり。
最初は違和感程度のものが徐々に膨らんでいく形。まるで映像を見ているかような気持ちになる。過去に見たスリラーめいたシーンが頭に浮かんできては重なってくる(ジャンルとしてはあまり好きじゃないのだが)。ここらへんは、作家の意図が見事に反映されているように思えるし、こちらとしてはハマったと言えるところか。ジェイクによる哲学的なセリフと、「わたし」の心理描写が絶妙である。
ネタバレは避けたいのでこの程度にしておくが、読んだ後の「違和感」というべきか、未消化感も半端ない。まるで作家が再読を促しているかのようである。
ネットフリックスで、チャーリー・カウフマン監督によって映像化されているらしい。どの程度、原作に忠実なのかわからないし、映画は映画で異なる作品なのかもしれないが、ちょっと見ておきたいところではある。この小説自体も映像化を見越して書いたのではないかと思われる。
そして、この小幡彩貴さんによるカバーイラスト。たぶんこれにつられて購入したのだ、内容に先入観を与えないようなニュートラルな感じが良い。