子どもが辞書を引く姿を見た事がない。なんでもスマホが解決してくれるらしい。小学校のときは喜んで調べた言葉に付箋をつけていたのに。ものを書くときに辞書がないと落ち着かないって、昭和以前の生まれの特徴なのだろうか。
赤瀬川源平「新解さんの謎」、三浦しをん「舟を編む」など辞書ものの本は結構読んでいる。佐々木健一「辞書になった男」も面白かった。この高田宏「言葉の海へ」は、日本初の近代的国語辞典とも言われる「言海」を編纂した大槻文彦さんの評伝。「言海」や大槻さんについても、その存在くらいは知っているので電子書籍で購入。電子書籍の方が安いという理由もあるのだが、古い本が読めるというのもある。
「言海」の編纂は旧文部省の仕事だったが、予算の関係で大槻さんに任される事になったとのことだ。辞書があることが近代国家として認められる手段の一つだったという。欧米の列強と呼ばれる国では辞書作りが行われていた。オックスフォード英語辞典は単語の語源にも触れているので知られているが、「言海」も語源などに触れているという。
「言海」そのものはちくま学術文庫で手には入るが、文庫サイズになるとさすがに読むのはきつい。この本を読んで興味がわいたのは確かだが、手をつけてみようという気にはなれない。
辞書を出したらすぐに改訂版の作業が始まると言われている。新たな言葉は生まれてくるし、使われなくなる言葉だって出てくる。大槻さんの編纂も遅れに遅れたらしい。語源までさぐるとなると、諸説あるものもあるだろうし、決め手に欠けるものだってあるだろう。人一倍探究心もある一方、締め切りもある(かなり遅れたそうだ)。どこかで一度形にしないといけない。
祖父は蘭学者・大槻玄沢、父は儒学者・大槻盤渓、兄は漢学者と家柄もいい。ただの国語学者(英語も相当できるらしい)ではなく、戊辰戦争の時は仙台藩の密偵として情報収集にあたったとのこと。当時はお国言葉で足がつく事が多かったので、訛りのない大槻さんはうってつけだったとのことだ。
いまさらながら、戊辰戦争に興味がわいてきた。子どもの頃は会津の白虎隊の話を聞かされて「またかよ」と思っていたけど、もうちょっと深掘りしたい気持ちになってきた。歳かな。