晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「やまゆり園事件」

 読んでいて気が重くなる本だった。テーマは、2016年に施設「津久井やまゆり園」を植松聖という元職員が襲い、19人が亡くなり、26人が重軽傷を負った事件である。戦後最悪の事件と称される。気が重くなったのは、犯罪のすさまじさもあるが、お前はどうなのだと問われているところもあるからだと思う。

 メディアで大きく報道されたのは覚えている。人と社会の嫌な部分を突きつけたような事件で、記事を読むのがつらかった。地元紙・神奈川新聞が、事件そのものと植松死刑囚の生い立ち、事件に付随して問題にされた部分 ー 優生思想、匿名裁判、死刑制度、実名報道障がい者との共生 ー などをまとめたドキュメンタリーである。

 事件が起きたのは同年7月26日。植松死刑囚が勤めていた障がい者施設に入り込み、職員を拘束し、話せるか話せないかを基準に凶行に及んだ。職員たちが「基準」に気づいて、「しゃべられます」とかばってからはほぼ無差別に刃物を振り下ろした。犯行以前には、犯行予告ともとれる手紙を衆議院議長に届けて、措置入院となった。手紙には、2つの施設の260名を殺して自首すること、逮捕後に2年で新しい戸籍を付与してほしい、5億円の支援などが書かれていた。

 措置入院から退院した後に実行に移す。障がい者は社会にいらない、とする極端な考え。裁判でその家族に謝る姿勢は見せても、自分の凶行を反省することはなかった。大麻の常習者でもあった。弁護側は、争点を責任能力に絞って無罪を主張するが、一種の確信犯とも言えて遂行した能力に疑いはない。本人も自身の論理は譲らず「社会のためにやった」と責任能力は認めている。ネット社会には植松死刑囚の考え方に賛同する向きも少なくないという。

 闇は晴れぬままに、この事件で改めて注目された諸問題に進んでいく。人の命を「選別」をした彼に、法律が与える「死」は彼と同じ事をしていないのか。出生前診断では、障がいがあるとわかった9割が中絶するという。自分の時はどうだったか。そわそわしながらも、大丈夫だろう、と結果を待っていた記憶があるが、自分に優生思想はなかったか。

 被害者の人たちの名前を公表しなかったことでも知られた事件だった。甲乙丙にアルファベットを加えた表記。神奈川新聞社は報道において、健常者と障がい者と区別しないためにも、実名報道を訴えたが、実際には被害者家族の気持ちを優先した。

 「共に生きる」と題した章は、他の章のほぼ2倍の分量。逆に共生への道が簡単ではないことを示しているように感じた。障がい者も含めたのが社会であるということ。そこは担保されなければと思った。