晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「悲しみの秘義」

 年度末のせいか、仕事で忙しく書店に行く機会がめっきり減ってしまい、行けた時には少し長居するようになった。文春文庫の新刊を見ていると、普通の文庫とは手触りが違う本があった。素材の説明はできないのだが、いつもの指の滑りがいいのとは別で、少し指に引っかかるような。自分が持っている本だと、内田洋子「モンテレッジォ 小さな村の旅する書店の物語」と同じ感触。この文庫も本がらみ。これはいい本に決まっていると、購入した。これもジャケ買いの一種か。

 若松英輔「悲しみの秘義」。若松さんは早朝のNHK教育の番組(宗教系)でたまにお目かけするが本を読むのは初めて。なんかやさしそうな顔をしている人である。この本は、日経新聞の夕刊に連載されていたという。本を柱にしたエッセイ。とりあげた本は、V・E・フランクル「夜と霧 新版」、プラトン「メノン」、原民喜「夏の花」、須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」など。

 どんな本が紹介されているのかなと読み進めたのだが、途中で興味は若松さんの文の方に移っていった。取り上げているのは、他に小林秀雄とかリルケなので、彼らが書いた文章よりも若松さんの文が心地よいという意味ではない。彼が書いたものを読んでいるのに、不思議と話を聞いてもらっているような気がしてくるのだ。どこか彼が書いている部分に同調しているからか。こんなことを書いている。

……探していた一冊に出会えたとき私たちは、単に新しい言葉を知ったという風には思わない。時空を超えてやってきた、未知の、しかし、級友と呼びたくなるような存在と巡り会ったように感じる。

 これと同じ感覚だとは思わないが、取り上げた本の引用部分と彼が書いた地の文との間に凹凸がないというか、非常にすっきり読める。もう少し若いときには、こういう文章にうさんくささを感じたのではないかと想像するが、なんか受け止める土壌ができた自分がいる。どうせなら、自分の土壌が豊かになったと思いたい。

 もともとはナナロク社が本にして、文藝春秋社が文庫にした。たぶん、文庫にしてくれないと出会えなかったし、若松英輔という人は知っていたけど著作まで読むことはなかったのではないか。これを機に深入りしてみようかな。