晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「統一教会」

 キリスト教には関心はあるが、この本は宗教方面ではなく、社会問題の関心から手に取った。著者の櫻井義秀さんは、宗教社会学が専攻で、長くこの団体を研究してきたようだ。副題に「性・カネ・恨(ハン)から実像に迫る」とある。

 自分たちの世代だと、原理研霊感商法でおなじみ。足を止めていないので統一教会であることは確認できていないが(どうせ隠しているし)、道ばたで幾度も「アンケート」やら「占い」やらで声をかけられたことがある(この欄では、書名にあわせて「旧」とか、現在の名称は使わない)。韓国人の友人に統一教会について聞いた事があるが、存在自体に疑問を呈しながらも「農家の嫁不足に役立った一面もある」との返事だった。韓国内では、サッカークラブを持っていたり、観光会社をやっていたりと企業グループみたいな印象が強い。

 安倍晋三元首相の殺害事件でいろいろとほじくり返されているが、この本を読むと、まさに異形の宗教団体なのがわかる。キリスト教シャーマニズムブレンドしたような独特な宗教。聖書の解釈も、よくこんな筋が思いつくものだと感心してしまうほどだ。教祖というかメシアとかいう文鮮明という人も、その意味ではちょっとした才能の持ち主だったかもしれない。

 植民地支配から日本人は原罪を背負っているとして、日本人には厳しい教義・教説(と呼ぶべきなのか)になっている。これまた、よくこんな設定を受け入れる日本人信者がいるものだと思ってしまう。日本人に寄生した宗教とも言える一面もあるのではないか。

 反共を謳い、そのベースを日本に広げてきた。安部元総理につながっていったのもその関係だろう。しかし1980年代にソ連が崩壊し冷戦体制が終わると、「存在意義」を失っていく。勝手な想像だが、政治家に近づいていったのは教団の方のような気がするし、無料で働いてくれるわけだから自民党などの政治家も重宝したのだろう。

 しかし、組織は肥大化。組織維持のための道を探る事になる。この本によると、統一教会というのは創価学会と比べても、いわゆる専従職員が多い組織だそうだ。経費で自らの首を絞める状態になっているとのこと。組織の維持、幹部連中の生活ベース維持のために、逆に教説というか解釈らしきものが変化していったという。文鮮明亡き後に、妻の韓鶴子を「メシア」にするために解釈をこじつけたりしているらしい。それに、子どもたち(それぞれ団体らしきものの長だったりする)がついていったり、反発したり。さながら、リアル韓流ドラマという感じか。

 姓名判断や開運など、それってキリスト教じゃないだろうと突っ込みをいれたくなる。二世信者や養子の問題など、これからも時折スポットライトが当たることがあるだろう。キリがないのでこのへんにしておく。