韓国語を読めるので韓国の小説を日本語訳で読むことはあまりないのだが、斎藤真理子さんの翻訳は信頼している。翻訳を読んだのは一度くらいだと思うが、エッセイなどを読むと韓国への理解がとても深いのがよくわかり、この人の訳は間違いないと確信すら持てるのだ(本人が満足していない場合はありうるだろうけど)。
いまや韓国語を翻訳する人はわんさかいて、翻訳を読まないので当然翻訳者の品定めなんかできないし(上手な人たちだろうし)、言葉自体が日本語と近いのでそんなにひどい誤訳もないと思っているのだけれど(その分細部が気になる)、斎藤さんが伝えてくれるのは物語だけじゃなく、その作品の持つ意義や精神、作品の選択にもメッセージがこもっている気がするのだ。
斎藤さんは自分より少し上。43年前に韓国語を習いはじめたそうだ。あの○や棒が縦に置いてあったり、横に寝てたりするような文字は記号のようだが、合理的な造りでできているので、一度踏み込んで習ってみるとそれなりにわかるようになる。言葉なので例外はつきものだし、発音や抑揚はそれなりに難しいが、言葉としてよくできていると思う部分がある。
さて、この本は創元社が刊行した「あいだで考える」シリーズの9作目。斎藤さんが、韓国語と日本語の「あいだ」を語っている。対象は10代以上のすべての人だそうだ。創元社は、「翻訳できない世界の言葉」「誰も知らない世界のことわざ」を出していて、なかなかセンスのよい本を出していると個人的には思っている。出している絵本や図鑑もいい。
「말」(mal と読む。言葉の意)、「글」(〈口をとがらせないで〉kul、字)、「소리」(sori、声・音)、「시」(shi、詩)、「사이」(sai、あいだ)の5章から、それぞれの章にあわせた形で斎藤さんと韓国・韓国語との関わりや韓国の歴史などが書かれている。斎藤さんが考古学から入ったというのは初めて知ったが、特に専門として研究をしたわけでもないのに、これだけ深い考察と知識を持っているというのは驚きである。読書量、好奇心、感性などが人並み外れていると思わされる。
先週の新聞の週末版に斎藤さんの記事が載っていた。韓国語との出会いは大学2年。翻訳家としてここ10年で訳したのは約60冊。詩を書いていたのは知っていたが、編集者の経験が長いようだ(詩だけで食べていける人はあまりいない)。著書もいくつか。「韓国文学の中心にあるもの」は自分にとって韓国小説の最良のブックガイドである。ここ数年は「斎藤美奈子さんの妹」なんて説明はもはや余剰になっている気がする。日比谷図書館でお話を伺ったこともあるが、お姉さんと比べれば「静」の印象なのだけど、一方ですごく力強さを感じた。勝手ながら「水」のような人だと思った。
記事で印象に残ったのは、「訳文を『美しい日本語』と言われると、失敗だったと反省します。韓国の作家は美しく書こうとしていないと思う」の言葉。少しだが、わかるような気がする。もっと気持ち自体をぶつけてきている感じか。
日韓を「あいだ」を語らせるのは、現在は斎藤真理子さんが一番の適任者なのでは、その意味では創元社のセンスの良さに感服している。良い本だった。