吉田篤弘「月とコーヒー」を読んだ。「つむじ風食堂の夜」か「それからはスープのことばかり考えて暮らした」を読んで以来だろうか。妻・吉田浩美さんとのクラフト・エヴィング商會としての仕事は、銀座のタウン誌「銀座百点」の表紙でお見受けするが、吉田篤弘さんの本を読むのはとにかく久々。Kindle Unlimitedにつられた形だ。
年齢は吉田さんが少し上なのだが、相変わらずソーダ水のような透き通った文章に感心させられた。現代版宮沢賢治か、筋がわかりやすい「星の王子さま」を読んだような気持ちだ。還暦を超えて、これだけ透明感のある話が書けるってどういう人なのか。装画も挿絵も描いている。
24篇の短いお話。それぞれ原稿用紙10枚程度。寝る前に1篇ほど読んで、本を閉じるようなイメージで書かれたそうだ。食楽webでの連載だけに、食に関する話が多い。とはいえ、グルメ向けの食べものが出てくるわけではない。タイトルにも触れてあるコーヒーだったり、サンドウィッチだったりとむしろ漠然としたものが多い。その方が読み手の想像が広がるのかもしれない。そして、万年筆やインクといった文房具も登場する。
気に入った話は多いのだけど、これだけを抜き出して絵本にしたらいかがかと思ったのが、「三人の年老いた泥棒」。泥棒として長い時間を過ごして、もう盗むものがなくなった年老いた泥棒3人は、自分たちが泥棒であり続けるために盗みを企てる。3人のうち1人が提案したのが、美術館に展示された絵の中から、夜空に瞬いている星だけ盗むということ。絵ではなく描かれた星だけを盗むのだ。
その美術館のある町はもともと「星振るところ」と呼ばれる夜空が自慢の町だったが、もはや「開発の波が押し寄せて」(吉田さんはこんな生臭い表現は使わないが)、もはや星が見えない町になってしまっている。美術館に所蔵してある絵も昔の絵ほど星が描かれている。さて、星を盗んだ泥棒は――。
このほかにも、「アーノルドのいない夜」「バナナ会議」「鳴らないオルゴール」がお気に入りである。吉田さんが書いた話って、刺さるってほど鋭角じゃないんだけど、心ににじむような話が多い。吉田さんの文章って、風呂に入りながら読んだ部分もあり、お気に入りの入浴剤みたいだなとふと思った。