2週間前になるが、大倉山の「太平館」の湯に浸かり、現在横浜市内にあるすべての銭湯に入ったことになった。征服感のようなものは多少あるのだが、市内の銭湯制覇を思い立ってからも10くらいの銭湯が店を閉じている。レースで言えば、ゴールが勝手に近くなったような感覚があり、いま一つスキッとしない。
ランニング後に意識して銭湯に行くようになって5,6年経つだろうか。自宅周辺の銭湯はほとんど入った頃に、危機感からだろうけど神奈川や横浜の銭湯組合がスタンプラリーを企画したのだが、その用紙を見て横浜市の銭湯の数の少なさに驚いた。当時は54、5軒だった記憶がある。370万都市の横浜としては少ないのでは。もっとも以前見に行った「銭湯と横浜」展で60軒超え程度なのは知っていた。どちらかというと減少のスピードに驚いたのだ。今回「制覇」と勇ましい言葉を使っているが、現状は46軒。休業中の2軒は含まない。昨年は49軒だったと思う。
今でも週に一二度は銭湯に行っている。ランニングの「疲労回復」が目的だが、もともと湯に浸かるのが好きなのだ。しかも熱めが好きなので、体温で温度がすぐに下がる家の狭い浴槽は嫌なのだ。スタンプラリーという機会は重宝しつつも、その期間内に無理することなく、レース・練習先で寄ったり、仕事の帰りなどに途中下車したりして、少しずつこなしていった。しかしながら、コロナで会社の定期券が廃止になり、後払いになったのは痛かった。明らかに機動力を失った。
今年の時点で「制覇」まで7軒残していただろうか。再びギアが入ったのは、この夏に「能登半島と横浜 銭湯がつなぐ人びとの交流」に足を運んでからだ。横浜市の銭湯経営者は石川県の能登半島出身にルーツを持つ人が多く、次いで新潟、富山、福井出身者だという(東京は富山が多いとか)。まだ現役の能登出身者もいて、締めの銭湯となった「太平館」の主人がそのようである。銭湯経営で成功した人たちが、跡継ぎとして家に入らない農村の次男や三男を横浜に呼び寄せたという。そして、成功した人たちが出身の神社などに大鳥居や狛犬を寄進したそうだ。横浜にいても故郷を愛し、地元に名を残そうとしたのだろう。現在でも、横浜の半数以上の銭湯が石川県にルーツを持つという。
確かに、石川県の工芸品を置いていたり、ペンキ絵で能登半島を描いた銭湯かあった。自宅周辺に限れば、ほぼ石川県出身者の銭湯である。そして、行ったことがない銭湯もやっぱり石川県出身の銭湯があった。能登を襲った地震の「支援」とまでいうつもりはないが、関心を持ち続けることも大事。入っていない銭湯を狙って訪ねるようにしたのだ。横浜の銭湯には募金箱を置いているところが多い。石川県の銭湯組合に送ることになっている。
余談だが、スタンプラリー中に一日9軒も銭湯を「はしご」する人がいたという。入った風呂でスタンプを押してもらっているときに店主が「すごい人がいるね」なんて話していた。しかし、酒場ならともかく風呂にそれだけ入るというのはどういうことだろうか。はしご酒以上に体に悪そうな気がしてならない。