晴走雨読 横鎌日記

無理しないランニング(最近ちょっと無理している)と気ままな読書について綴ります。横浜と鎌倉が中心。映画やお出かけもあり

「日本の詩歌 その骨組みと素肌」

 ちょっと硬いかなと思いつつ、大岡信の本を手にしてみた。この「日本の詩歌 その骨組みと素肌」は1990年代にパリのコレージュ・ド・フランスで、大岡氏が行った計5回の講義をまとめたもの。外国人向けに話したものなら、平易な言葉で、かいつまんで説明しているに違いないと踏んで読むことにした。この手の本は、ちょっとご無沙汰しているし。まあ、単純に歳をとったということかも知れないが。

 結論から言うと、古典や和歌への距離がグッと縮まった気がしている。菅原道真和泉式部などの人間模様を中心に書きながらも和歌の特徴を明確に話しており、やや距離感を持って接していたものが、身近になった気がしている。これを読んだからといって、和歌の解釈がスムーズに行くということはないだろうけど。

日本の詩歌――その骨組みと素肌 (岩波文庫)

日本の詩歌――その骨組みと素肌 (岩波文庫)

 

  1回目の講義は菅原道真について。学問の神様で知られるが、藤原時平によって失脚させられ、その左遷に際して、妻と年長の娘は京都に残り、長男は土佐に、次男は駿河に、三男と四男はそれぞれ飛騨と播磨と追放され、家族は6カ所へ引き裂かれる(道真は幼い男女の子と一緒)。道真が死後、怨霊となって時平や追放のために暗躍した者たちを死に追いやったという話は、フランス人受講者にはうけたのではないだろうか。

 このような前振りをしながら、後半には漢詩と和歌の違いを論じる。漢詩が作者の「自己主張」を条件にするのに対し、和歌は作者の「自己消去」を自然に招き寄せ、「自我」を超越し「自然」と一体化しようとするものだということ。当時は、秩序や美意識が共通の基盤の上に成り立っていて、自己主張が難しかったそうだ。

 2回目の講義では紀貫之。そこで日本の和歌の短さについて、「大量の暗示と他者への呼びかけを可能にする点でむしろ有利」と話している。ここでは「恋」のテーマが多いということも。3回目は女性歌人については、女性の行動範囲が限定されていたので、その感情表現は痛切、かつ率直にならざるを得なかったと。そして、4回目は叙景、5回目は中世歌謡と続く。

 日本語で直接触れられるものを、あえて外国人向けに話された講義を媒体にして触れるというのもまどろっこしい気がするが、それ故にそぎ落とされてメリハリがつく部分もあり、文章そのものは大岡氏のものだし、わかりやすい。村上春樹さんや多和田葉子さんの海外での講義なども日本語で発表されると、日本語話者に新鮮な視点を与えるのではとつい思ってしまう。