晴走雨読 横鎌日記

気ままな読書と無理しないランニングについて綴ります。横浜と鎌倉を中心に映画やお出かけもあり。ここのところ、行動範囲が限られています

「田舎医者/断食芸人/流刑地で」

 光文社古典新訳文庫からカフカを読んだ。今回は3作目で「田舎医者/断食芸人/流刑地で」。タイトルになった3作の他、「インディアンになりたい」「突然の散歩」「ボイラーマン」「夢」「歌姫ヨゼフィーネ、またはハツカネズミ族」の計8編が収録されている。これらはカフカの生前に刊行された作品のようで、帯には「カフカが自信をもって世に出した」と書いてある。訳は、丘沢静也さん。光文社から出している新訳文庫からカフカのみならず、ニーチェウィトゲンシュタインといった哲学の本まで翻訳している。同社の信頼が厚いようである。

 丘沢さんが文学臭を嫌い、とっつきやすい訳にしているのはすでに知っている。これまでの訳ではなんとなく、暗く、不条理で、ひきこもりのような印象があるカフカを、結構付き合いやすい奴だぜと外に出して、みんなの前に連れ出しているようなアプローチである。

 自分とて、一応カフカ好き。だいたいの話は頭に入っているつもりなので(すべてをきっちり覚えているわけではないが)、話の内容云々よりは、丘沢訳でどう印象が変わったかというのが興味のあるところ。しかし読んでみると、頭の中にある記憶を呼び起こすような感覚はまるでない。ほぼ、話が完璧に頭に入っている「断食芸人」でも、筋はもちろん一緒のはずだが、どうも違う作品を読んでいるような感覚に陥る。原曲の思い出せないカバーの曲を聴いたような感覚。でも、丘沢さんに言わせると、カフカってロマン主義は噓だと思っていたし、シンプルなドイツ語で書かれている、とのことで、こちらがオリジナルなアプローチということなのだろう。カフカはもともと読みやすかったのか。ただ、行動の「理由が原因の説明がない」(解説から)のは変わりがない。

 過去に「審判」として知られる作品を「訴訟」として訳した。今回も「火夫」を「ボイラーマン」にした。「火夫」=「ボイラーマン」は、カフカの長編「失踪者」(以前は「アメリカ」という題で知られていた)の第1章と言われている。原題、原文の印象はわからないが、「ボイラー技師」くらいで良かったのではないかとも思えた。「ボイラーマン」とすると妙にキャラが立ちすぎて、どこかヒーロー物のように思ってしまうのは私だけだろうか。「流刑地にて」を「流刑地で」にしたのは、アリだと思う。

 あとがきを読むと、どうやら未完の長編「城」を訳しているところのようだ。こちらも読んでみるつもりである。でも、文学臭が強い形で刷り込まれているので、昔の翻訳も捨てがたいんだよね。頭の中で作り上げられてしまっているのかな。